今回のボラバスには、団体で参加されている人が多くいました。


私の乗っているバスにも、ある幼稚園の先生(園長先生を含む)や、その父兄さんが10名弱でいらっしゃったと思います。


そうそう、この幼稚園は、只者ではないんです。^^;


園児の数が250名強、いるのだそうです。す、すごいわ!


どんだけ、大きな施設なんでしょうねぇ・・・


予定では、もう少し多い人数でボランティアに参加できると見込んでいたようですが、残念なことに集まりが悪く、バスの手配が困難となり、この石塚観光を利用されたそうです。


たぶん、それで正解だったと思います、よ。


そして、バスの席で私の隣は、大学生(女子)が3名で参加していました。


これから夏休みに入れば、学生ボランティアの活躍に少し期待ができそうですね。



話を聞けば、まだ学校ではボランティアに参加したという人は周りにいないそうです。


大人しい可愛らしい女の子でしたが、この震災の深刻さに前々からボラ参加をしたかったと話してくれました。


同時に、初めてのボラ活動と、未知の被災地の様子に不安を持っていました。


私が今まで見てきたこと、ボラの作業内容などを少し話すと、質問が次から次へと出てきました。


添乗員さんがボラバスの中で流す、ボラ活動の注意点をまとめたDVDでは、物足りなさを感じたのでしょうね。うん、うん、分かるぞ!



さて、前置きが長くなりましたが、以下は海岸から近い石巻市の現在の様子です。


人も車も通行しているので、自衛隊や警察の行方不明者の捜索が済んでいる所になります。


辺りを見渡すと、被災地に初めて来た頃に見た無残にひっくり返った車や、枝のない木々などは地面に刺さっていません。


だいぶ、人の手が入った状態であります。


それでも、まだこんな状態なんです。


これで、明日から普通の生活なんて想像できますか? これが、石巻市の現実です。



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↑何も無い。



生活の全て、生きてきた証が、流されたと同じです。



自分の住んでいた家が、街が、一瞬で無くなった時、これからどこへ行けばいいのか、これから何をしたらいいのか、この場所で考えることが出来るでしょうか。



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↑前方左、ゴミの山に見えますよね。


しかし、これは、この持ち主がゴミとして出したものではありません。


地震のその時まで、使われていたものです。


持ち主不明のものだってあるでしょう、本当のゴミとして出されたものはとても少ないと思います。



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この持ち物の一つ一つが、ここまでたどり着くのに、どれだけの月日が経ったことか。


大切な思い出の品は、海に流されたり、この山の中にあったり、私たちの生活とはあまりに違い過ぎます。


大切な物の山は、果てしなく続いていました。



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そして、被災地には、たくさんの重機が入っています(それでも足りないですが)。


日本で主に重機を扱う会社が、被災地に重機を出して活躍をされていると聞きました。


私たちの知らないところで、知らない形で、たくさんの支援の輪が広がっているのです。


そう言えば、前回までのボラの時、宮城県に向かう高速道路のサービスエリアで、神戸ナンバーの車を多く見ました。


普通車もあれば、業務用の車もあります。


東日本大震災の災害ボランティアと、支援の為のメッセージを掲げた車です。


こんな遠くまで、本当にお疲れ様です。嬉しいですね!


阪神大震災の恩返しで被災地に向かっていることは、すぐに分かりました。ナキソウニナッタ!



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被災地では水道はもちろん、電気さえ通っていないところがまだまだあります。


役目を果たせない信号機の代わりに、全国から集まってきた警察官が、この炎天下に手信号で交通整理をしていました。


この日は、愛媛県警、警視庁、のゼッケン?のようなものを付けた警察官をバスから見掛けることができました。


本当に、本当に、お疲れ様です。



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今回のボラ活動は、気温の高さもありましたが、午前中に熱中症で倒れた人がいたことから、休憩時間の取り方や、作業活動の終了時間が見直されて、いつもより早めにボラ作業を終えることになりました。


物足りないなんて、思えないくらい、みんな汗だくでクタクタだったと思います。


でも、不思議なんですよね!


終わった後は、みんなヘトヘトのはずなのに、誰もが笑顔なんです。



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ボラ作業が、予定時刻より早めに切り上げとなったことから、石塚観光の取り計らいで石巻市の海岸近くを帰途に走りました。

今まだこのような状況の場所があることを知って欲しい想いがあるのでしょう。


だからこそ、撮りました。


しかし、私はデジカメを持ってきておらず、携帯電話のカメラ機能を使って撮影していたので、走るバスとシャッター後の撮影までに時差が出て、撮るべき場所のものが撮れていません。


それでも、シャッターを押し続けました(携帯電話ですが)。



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瓦礫の山、そう言っていいのか、その山はその奥、その奥までずっと山が続いています。


仕分け作業が済んでいる所もあれば、そうでない所もあります。


人の手が足りません。


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バスは走り続けますが、景色はこの状態が続きます。


トラックが何往復もして、この山は作られました。


生活の跡さえ無いその山の多さに、驚きではなく悲しいの一言です。


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今は、本当に穏やかな海です。


そのすぐ側の建物は流されて、基礎だけが残っているのが見えます。


地震があったこと、津波があったことさえ、今日の海の景色からは想像できません。


だからこそ、伝えていかなければなりません。



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この状況では、人はたちまち流されていまいます。


何もかも、流されてしまいます。


自然の猛威には、どんなに科学が進歩しようと太刀打ちできないのが当然であって、その脅威を、絶対に忘れてはいけません。


千年前にも起こった大地震と津波は、文献と近年の地層調査から分かっていたと言います。


その警告は生かすことができなかったこと、生かせなかった事実と向き合うことで、二度とこのような悲劇の繰り返しを明日に残さないようにしていかなければと思います。


ただ、安全を過剰に出来るほど、今の日本はお金がありません。


豊かに見えたなら、それはツケという借金であり、見せかけの豊かさです。



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↑これ、バスが比較にならないほど、もの凄く大きいんです。


道路脇に転がるよう流れ着いていたのですが、バスの窓から近過ぎるし、対象物が無いから大きさが伝わりませんね。

震災当時の写真が載っているブログがありましたので、覗いてみてください。


被災者自らと、ボランティアの活躍によって、復興がされてきている会社です。


被災した本物の缶詰は、その努力によって多くが売れていったようです。


画像を追っていくと、震災後間もない頃の巨大缶詰の画像が出てきす。


所有者である㈱木の屋のシンボルであることが分かります。




110711_14


仙台と言えば、牛タンが有名すよね!


↑これは、帰りのサービスエリアで購入する晩ご飯の一部(牛タン)です。


毎回、贅沢珈琲や、地の食べ物を買います。


自分へのご褒美と、被災地支援と言い張っています。



そして、話は変わりますが、今、日本から世界に「Thank you」を伝えようという取り組みがあります。


2011年3月11日の東日本大震災によって、その日を境に日本全体は悲しみに覆われました。


その深刻な被害を目の前にした時、悲劇と絶望感が誰の頭にもあったと思います。


それでも、日本人の凄いところは、どんな状況下であっても助け合う姿勢が崩れないということです。


今ある着実な復興力と、その原動力である日本人の頑張りを支えてくれたのは、日本の中で起きた救いだけではなく、震災後すぐに行動を起こしてくれた海外から届く多くの支援物資や、義援金だったりしました。


その支援の輪に感謝の気持ちを込めて、世界へお礼を届けようという取り組みです。


白地の紙に、メッセージと日の丸を描いて、顔とメッセージが映るように写真を撮って送ってください。


目標数1,000枚のようですが、100枚くらいしか集まっていないそうです。


できれば、人口分とはいかなくても、1億枚は集まるとイイなぁ。


興味のある方は、「Thank you for the world」事務局へ。



110711_1

↑作業を終えて、着替え終わったあと、この写真を撮りました。


本当は、ボラ活動着のまま写真を撮れたら良かったのですが、作業が終わると疲労で体に力が入らず、それに汚れも酷いので断念しました。


失敗したなぁ~


1枚でも多く、感謝の言葉が集まるといいですね!




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