後藤さんの無事生還を願っていましたが、叶いませんでした。

とても、とても悲しいです。

そして、心からお悔やみ申しあげます。

哀悼の意は、失った大きさから私たち全員に向けられるような気がしました。

日本は、世界は、本当に、大切な人を失くしました。

後藤さんが行ってきたこと、願ったことは、全ての人が「平和」に暮らせる世界だったように思います。

自分の見える範囲だけが幸せと言う狭い話ではなくて、自分の知らない人も、みんなが幸せに生きられるという話です。

テレビの向こう側の話ではありません。

自分と同じ、人間の家族の話です。

それは、とても簡単で困難な世界が現実にあるということ。

それを伝えることに自分の命を掛けて、それを仕事としていた後藤さんが亡くなりました。

どうして、大切な命を奪われなければならなかったのか。

「テロに屈しない」は、人命よりも大事なことですか。

2億ドルの支援や、人道支援という責任の結果が、後藤さんや湯川さんを失ったこととは思いませんか。

日本人の命を危険にさらした日は、いつから始まっていたか。

後藤さんの中には、もしかしたらテロ問題などはなくて、弱者の救済だけが目の前の解決したいことに尽きたのではないのかな。

紛争地の子どもたちに、真の子どもの姿を取り戻すため、世界で平和に暮らす私たちの目を向けさせるために、危険地帯でジャーナリストという仕事をしていた。

誰にでもできることではない、その気持ちはあっても、行動することは普通はできない。

後藤さんの顔をテレビで見たとき、とても強い意思をもった人、そして儚いほど優しい人、と感じました。

世界中の人が、後藤さんの死を悲しんでいます。

一国の代表が死んだとしても、これほど世界中の人が悲しんでくれることはないんじゃないかな。

残虐な死を悼むだけの悲しみではなくて、後藤さんがジャーナリストとして今まで如何に行動してきたか、その偉大な功績に敬意を込めて、そしてその失った大きさを知って悲しんでいるのだと思います。

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自分の死を利用しないでほしい、それは余りにも大きな愛のメッセージ。

全てを許している。

最期まで平和を望んでいる。

後藤さんの言った自己責任は、国際問題にまで広がりましたが、後藤さんの死をもって現実の世界を知らしめる結果となりました。

日本は、戦争をしないだけではない、戦争に関与もしなければ、支援もしない、だから償わせるなんて言葉は生まれない。