ボランティア

鶴田まこみさん

任期満了に伴う『茨城県知事選挙』が、8月27日に行われます。

立候補したのは、現職の橋本昌氏(71)と、自民・公明両党が推薦する新人の大井川和彦氏(53)、共産党が推薦する新人の鶴田真子美氏(52)の3人です。

現職知事の橋本さんは、最多選の6期目を務め24年になります。

それでも十分長過ぎるだろうと思っているのに、日本の現職都道府県知事としては最多となる7期目を目指すというのだから、困りもの。

橋本さんの長い県政で確固たる基盤は出来上がっていると思うので、これからはそれに足りなかったものを補える人に知事を任せたいです。

純粋に県民と茨城県のことを考えてくれるなら、もう辞めて!と以前から思っていました。

だから、絶対この人に票を入れることはありません。

まさか、2020年の東京五輪で茨城県鹿嶋市の「カシマスタジアム」がサッカー会場に決定したけれども、それに出たいのかぁーと思ってしまいます(笑

それに、この24年間、茨城県は全国的に犬猫殺処分数がワーストクラスです。

どんな言葉も、誰の意見も、決して届きませんでした。

忘れもしない、2014年7月1日、動物愛護の活動家としての側面をもつ女優の「杉本彩さん」が茨城県知事に直接陳情のために県庁を訪れました。

杉本彩さんのブログを読むと、申し訳ない気持ちと、橋本さんに落胆したのを覚えています。  → 

可笑しいのが、今回の選挙であの橋本さんが犬猫の殺処分をゼロとか言い出しました。

これは、鶴田まこみさんが強く訴えている「いのちが大切」の中で小さな弱い命まで守る、犬猫殺処分ゼロを成し遂げるを意識してのことです。

因みに、大井川さんも犬猫殺処分ゼロを掲げています。

ですがこの二人、微塵も実績がありません。

鶴田まこみさんだけは、違いました。

2年前の2015年、茨城県常総市における「野犬問題」で、同じ県民として何かできないものかと考えていました。

「常総市の野犬問題」を知ったのが、ブログ「犬猫救済の輪」の活動日記からでした。 → 

ですが、現状の酷さ、事の深刻さに私は怖気づいてしまいました。

小さな協力でしたが、情報の拡散さえ諦めてしまったんです。

そのことがずっと、心に濃い影を落としていたのですが、つい先日の鶴田まこみさんの言葉で救われました。

余りに悲しくて怖かった常総市の野犬問題、その後の経過さえも追えなかったのに、行政を動かして解決していたんです。

実は私、随時ボランティア募集中だった鶴田まこみさんの水戸事務所で少しだけお手伝いをしています(笑

今回の知事選で一番はじめに手にした鶴田まこみさんのチラシに、保護猫を35匹飼っていますと書かれていたことが切っ掛けでした。

政策や公約とか載せたいことは沢山あるでしょうに、そのチラシに保護ネコ35匹と暮らすなんてことを書く人に興味を持ちました♪

原発を止めるなど、前面にはっきりと具体的な政策を掲げる姿勢も評価できましたが、私が票を入れるこの人はどんな人だろうと関心が沸いて、ボランティアに通い始めました。

そして、先日の12日(土)に鶴田まこみさんが水戸入りをしたのですが、その日の夕方に水戸事務所でNHK水戸放送局の取材がありました。


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NHKが主要としていたのは、「東海第2原発の再稼働は許しません」だったので、それらに関わる人が集まっていましたが、鶴田まこみさんの熱い訴えはそれだけじゃありません。

念頭に原発ストップが強くあるのは、福島原発事故後に現地入りをして現地の声と空気を吸っているからだと思いました。

その現地の声の中には、動物たちの鳴き声にならない声がありました。

そして常総市の野犬問題は、今日のインタビューの中で語られたものでした。

きっと、テレビ的には放送されない部分でしょうが、私の心に深く刻まれました。

動物の話となると、涙が止まりません。

鶴田まこみさんの言う「17年間の市民活動の中で、草の根で地をはうようにして人間や動物のために活動し、冷たい県政を目で見て、肌で感じてきた。」という全ての言葉を理解できた瞬間でした。

「本物」だと思いました。

到底できないことを、この人は遣って退けていました。

どんなに強い信念があっても、人は終着点までの計算をしてしまいます。

だから前に進めなくなるものなのに、鶴田まこみさんは恐れることなく守り抜きました。

屈することだけが恐れることなのに、何も始めないで諦めてしまった私とは雲泥の差です。

素敵な笑顔の鶴田まこみさんは、その容姿から想像できないくらいとても強い信念をお持ちの方でした。

最後までやり遂げることができる人です。

そういうのも見てしまうと、橋本さんとか、大井川さんとか、影が薄くなってしまいました。

行動力の基礎となる部分が違いすぎますから。

「いのち」ですからね、命への責任の実績が無いお二人とは比べようがありません。

特に橋本さんは、私から見たら信用なりません。

24年もの間、何も手を付けなかった原発問題や殺処分ゼロのことを、今になって付け加えてくるなんて虫が良すぎます。

私の関心処は、もちろん犬猫の殺処分をなくすこと。

小さな命まで本当に守ることができるのか、個人や各愛護団体は行動力や柔軟性はあるものの、限界のある大きな問題ですから、真摯に手を取り合える行政の力が必要です。

実現のための高いハードルには両者の協働がとても重要ですし、行政が加われば市町村による取り組みの格差を積極的かつ継続的に管理することが可能になります。

小さな命を大事にする社会は、人にとっても生きやすいはずです。

そんな時代が来たのかもしれません。

そして、原発の問題。

東海第2原発の再稼働問題は、関心度の高い争点の一つになっていますが、日本のエネルギー事情を考えると原発に代わる代替エネルギーが現時点であるのかどうか、あれば問題はないと思います。

ただ、低いエネルギー事情の現状を考えると、原発ゼロは可能かどうか。

廃炉の主張は通せるものなのか、現時点では疑問があります。

ですが、今は無理でもその準備はできるのではないでしょうか。

原発のはじまりが茨城県なら、原発から代替エネルギーを実現する準備を茨城県で試行するのも良いのではないかと思うようになりました。

確かに、福島の原子力発電所の事故を受けて、国内外で原発反対の動きが強くなっています。

そこには、感情的な議論も感じられるので私的には触れたくなかったのですが、将来のエネルギー事情を吟味すれば原発より環境や社会に優しいエネルギーを探る必要が遅かれ早かれ出てきます。

鶴田まこみさんの主張する省エネ・再生可能エネルギーは、現状のエネルギー量からみると火力発電に電力供給の多くを依存することになります。

ですが、その化石燃料に対し、エネルギー資源の問題や環境に悪影響を及ぼさない点を解消できるエネルギーです。

原子力発電は、ウランが核分裂をしたときに生じる熱エネルギーを利用し、水を蒸発させることによりタービンを回し発電する仕組みになります。

火力発電は、燃料が違うだけで、その仕組みは原子力発電とほとんど変わりません。

再生可能エネルギーは、太陽光、水力、風力、地熱などから発電、燃料等に変換します。

原発ゼロの要求は、原発の生む高レベル放射能物質が、人体や環境に恐ろしい影響を及ぼすためです。

高レベル放射能物資の放射能が、人体に影響を及ぼさなくなるまでに必要な時間は約十万年と言われています。

感情論で原発ゼロを叫ぶのではなく、解決困難な問題を抱える以上は、原子力発電であろうと、再生可能エネルギーであろうと、この課題に向き合わなければなりません。

そういったチャレンジ精神を可能にできる人こそが、未来の知事に相応しいのです。

大井川さんであろうと、鶴田さんであろうと、構わない。

あ、旧人には無理です。







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決して喜べない名誉_フクシマの英雄たち

もう既に皆さんは、ご存知かと思います。


「福島の英雄たち」に、スペインの皇太子賞が授与されることになりました。


このことは、日本にとって大変名誉なことです。


そして、その背景には、世界の人たちが「フクシマ」を見守っている、まさに事故収束への祈りが込められたものだと思います。


しかし、この授賞に「おめでとう」の言葉は、日本の中から出ることはありません。


それでも、命がけで作業をする人たちがいます。



危険を承知で、原発の暴走を目の前にしながら、仕事に追われる毎日を過ごしている人たちがいます。


その献身的な働きに、私は、「おめでとう」の代わりに、「ありがとう」を捧げます。



心から・・・


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受賞の内容は、以下の通りです。


スペインのアストゥリアス皇太子財団は、アストゥリアス皇太子賞の平和部門賞を、東日本大震災による福島第1原発事故で初期対応にあたった「フクシマの英雄たち」に授賞すると発表した。


授賞対象となった「フクシマの英雄たち」というのは、


①現場対応にあたった東京電力(TEPCO)従業員や関連の作業員


②原子炉の冷却作業で放水にあたった消防隊員


③原子炉上空からのヘリコプターによる海水散布や、高濃度の放射能汚染で立入禁止区域に指定された地域からの住民避難に従事した陸上自衛隊の隊員


とし、


授賞の理由は、「彼らは自らを犠牲として、津波による核災害がその壊滅的影響を何倍にも拡大させることを阻止した。自らの身にも深刻な影響がもたらされる恐れも顧みず、彼らは決断を下し、人としての最も崇高な価値を示した」と説明しています。


そして、「彼らのなしたことは、日本社会に根付く義務感、逆境での品位、謙虚さ、寛容、勇気のたまものだ」と称揚しました。



その初期対応の最中、東京電力の社長が福島原発から全作業員の撤退を実行していたら、原発の周辺とか、東北とかの問題ではなくて、この日本がどうなっていたか想像すらできません。



福島発電所の吉田所長が「まだ頑張れる」と主張したこと、菅元首相が東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫ったこと、両者共に命がけであったと思います。


その覚悟が見えなかったのが、東京電力の社長を含めた幹部たちだったのではないでしょうか。


そのことだけは、あの時から変わらず、腹立たしく思っています。




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今回の名誉ある受賞は、福島の英雄たちに世界中の人たちが心を動かされたことは言うまでもありません。


その勇姿を見つめていた世界中の子どもたちが、将来人の為に尽くせる仕事をしたいと思った影響力も含み、この授与には大きな意味が持たされているのではないでしょうか。


名誉ある受賞とは別に、福島原発の事故で、放射能漏れから尾を引く風評被害は止まりません。


放射能や、被ばくを知らないから怖い。


放射能や、被ばくを知っているから怖い。


両方言えることだと思います。


現場で働く人も、同じです。怖いはずなんです。


それでも、最悪の事態を食い止めようと懸命に作業にあたっている英雄たちに感謝するとともに、この世界中から祈りの輪が届きますよう、心からエールを送ります。



余談ですが、防衛大学の生みの親である吉田茂が、昭和32年第1期学生に送った卒業式の訓示をご紹介します。


君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。

しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。

言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。

一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。 自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ。

   

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踊る市長!!

昨日は、水戸市のお隣「ひたちなか市」で、沖縄民謡ライブのお手伝いをしてきました。


はい、ものすんごく、楽しかったです。


この時期の恒例となっているイベントのようで、今年で8回目を数えるそうです。


この日の来賓には、ひたちなか市長をはじめ、ひたちなか商工会議所の会頭だったかしら?、それに教育委員会からも、あとJ銀行の頭取だった○○氏も来てるし・・・


うーん、普通のライブじゃないと思う。


とにかく、スタッフも楽しんで仕事をしているし、お客様は追っかけと言われる人を含め、宣伝もしていないのになぜか集まって会場が満たされるのだから、うーん、これはいったい?!!


そして、私を驚かせたもの↓、お客さまが踊る~♪


市長も、踊る~♪


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この辺りでの知名度は低いですが、石垣島では有名人の「鳩間ファミリー」による沖縄民謡のライブです。


今回は、東日本大震災復興支援チャリティライブとなって、売上の一部を被災地であるひたちなか市へ寄付してくださいました。


私は、たまたま石塚観光の石巻市ボランティアへ参加した時に知り合った女性から、声を掛けられて今日こちらへお手伝いに来ているわけです。


(makiちゃん、めちゃめちゃ楽しかったです、ありがとう・・・


会場では、石垣島から運ばれたパイナップルや、泡盛などが振舞われていて、茨城県にも沖縄の人がたくさんいらっしゃることが分かりました。


うーん、それにしても、会場中はパイナップルの甘~い香りに包まれて、ここだけ南国の世界です。


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私は、沖縄に2度程旅行をしたことがあるのですが、本島から離れる北海道の大自然に感動したように、沖縄の大自然にも感動したことを覚えています。


まるで、ここが日本ではないかのような錯覚を起こすくらいくらい、空気が違っているし、目に飛び込む風景も違ってきます。


何より、異国の香りを感じさせるような文化と歴史に、深い興味を持ちました。


ただ、それには、とても悲しい歴史の背景があって、それらを知ると、私たちが憎んでいたはずの戦争以外にも、ここの人たちを苦しめていた罪深い日本の歴史を知ることになります。


沖縄と同様の悲しい歴史は、確かに石垣島にもありました。



私がその方々の子孫だったなら、それは昔のことと、許せるのかな。


ふと、そんなことを思いました。


ここにいる、ひたちなか市の人たちと、石垣島の人たちは、もう何年も行き来を交わす仲で、親交と絆が着実に育まれています。


笑顔がとても素敵な鳩間ファミリーでしたが、ファミリーのお父さんの笑顔は特に印象的で、深い大きな優しさがあふれてくるのを感じました。


深く刻まれたしわの一つ一つは、とても魅力的で、優しくて可愛らしいお顔をしているのだけれど、とても男らしい重みのあるお顔でした。


背負うものが、違い過ぎるのかな。なぜか、勝てない気がしました。


うーん、とにかく、とても素敵でした。


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会場でも相当盛り上がっていましたが、終了後の鳩間ファミリーを囲んだスタッフのお疲れ様会では、やはり最後の締めに踊り明かすことになりました。


私、どうしても、ギクシャクした踊りになってしまい、みんなが笑顔なのに、笑うに笑えませんでしたよ~


正直、私はこういう場が苦手で、社会人になった時から平気で避ける人でした。


それでも、あの手この手で誘われるのですが、権力にも屈しないほど頑ななので、いざこの年で出掛けてみると、何も出来ない自分が恥ずかしくなります。


でも、たくさんの人とお話が出来て、楽しかったですよ~



↓鳩間ファミリーのボーカル「かなちゃん」25歳です。可愛いかったです~
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そうそう、鳩間ファミリーの追っかけは県外各地から集まるようなのですが、その中に岡山県からの追っかけの人がいて、その人に石垣島には行かれるんですか?と聞くと。


「うーん、先月は行ってないかなぁ~」


って、どれだけの頻度で行ってるんだいと、驚いてしまった。


仕事を終えれば、追っかけをしているのだから、金銭的にも、体力的にも、大変なんだろうな~


と、思っていたら、その人はその後、廊下で寝ていました。 面白過ぎ・・・


他にも、たくさん楽しいお話が聞けました。


とにかく、音楽があって、みんなで踊る、こういう風習って、意外といいわ!

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ネモ:「おかあさん、ボクも、踊れるでちよ! ほれ!!」


私:「うーん、まぁーまぁーかな?」



あ、それで、この日のお手伝いは、毎年このライブ用に作成されるTシャツがあって、そのTシャツを販売する担当でした。


もちろん、スタッフの私もそれを着ています。


皆さんそれを買うと、その場ですぐに着てくれます。


というか、それを着て踊るらしい・・・


現金を扱う唯一の仕事だっただけに、ドキドキでしたが、かなりフランクな感じで流れていきました。

私、役に立てたのだろうか?


お昼のお弁当はサイコーに美味しかったし、Tシャツはもらって着てるし、打ち上げでお寿司は食べ放題だし、お土産にパイナップルまでもらえるし、それに、よくよく話を聞いていると、皆さん地元のそれも町内会が一緒の人たちで構成されているような・・・(汗


そんな中に紛れてた私、よかったのだろうかと、今頃思うのでした。


それにしても、ボラ活動から私をいつも誘ってくれるmakiちゃん、主催者がmakiちゃんのお父さんだったことも驚きだったけれど、常陽銀行のあの○○頭取が親戚だったなんて、知らんかったよ~(汗・汗・汗


でも、楽しかった・・・あはは




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写真で見る、今の石巻市

今回のボラバスには、団体で参加されている人が多くいました。


私の乗っているバスにも、ある幼稚園の先生(園長先生を含む)や、その父兄さんが10名弱でいらっしゃったと思います。


そうそう、この幼稚園は、只者ではないんです。^^;


園児の数が250名強、いるのだそうです。す、すごいわ!


どんだけ、大きな施設なんでしょうねぇ・・・


予定では、もう少し多い人数でボランティアに参加できると見込んでいたようですが、残念なことに集まりが悪く、バスの手配が困難となり、この石塚観光を利用されたそうです。


たぶん、それで正解だったと思います、よ。


そして、バスの席で私の隣は、大学生(女子)が3名で参加していました。


これから夏休みに入れば、学生ボランティアの活躍に少し期待ができそうですね。



話を聞けば、まだ学校ではボランティアに参加したという人は周りにいないそうです。


大人しい可愛らしい女の子でしたが、この震災の深刻さに前々からボラ参加をしたかったと話してくれました。


同時に、初めてのボラ活動と、未知の被災地の様子に不安を持っていました。


私が今まで見てきたこと、ボラの作業内容などを少し話すと、質問が次から次へと出てきました。


添乗員さんがボラバスの中で流す、ボラ活動の注意点をまとめたDVDでは、物足りなさを感じたのでしょうね。うん、うん、分かるぞ!



さて、前置きが長くなりましたが、以下は海岸から近い石巻市の現在の様子です。


人も車も通行しているので、自衛隊や警察の行方不明者の捜索が済んでいる所になります。


辺りを見渡すと、被災地に初めて来た頃に見た無残にひっくり返った車や、枝のない木々などは地面に刺さっていません。


だいぶ、人の手が入った状態であります。


それでも、まだこんな状態なんです。


これで、明日から普通の生活なんて想像できますか? これが、石巻市の現実です。



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↑何も無い。



生活の全て、生きてきた証が、流されたと同じです。



自分の住んでいた家が、街が、一瞬で無くなった時、これからどこへ行けばいいのか、これから何をしたらいいのか、この場所で考えることが出来るでしょうか。



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↑前方左、ゴミの山に見えますよね。


しかし、これは、この持ち主がゴミとして出したものではありません。


地震のその時まで、使われていたものです。


持ち主不明のものだってあるでしょう、本当のゴミとして出されたものはとても少ないと思います。



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この持ち物の一つ一つが、ここまでたどり着くのに、どれだけの月日が経ったことか。


大切な思い出の品は、海に流されたり、この山の中にあったり、私たちの生活とはあまりに違い過ぎます。


大切な物の山は、果てしなく続いていました。



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そして、被災地には、たくさんの重機が入っています(それでも足りないですが)。


日本で主に重機を扱う会社が、被災地に重機を出して活躍をされていると聞きました。


私たちの知らないところで、知らない形で、たくさんの支援の輪が広がっているのです。


そう言えば、前回までのボラの時、宮城県に向かう高速道路のサービスエリアで、神戸ナンバーの車を多く見ました。


普通車もあれば、業務用の車もあります。


東日本大震災の災害ボランティアと、支援の為のメッセージを掲げた車です。


こんな遠くまで、本当にお疲れ様です。嬉しいですね!


阪神大震災の恩返しで被災地に向かっていることは、すぐに分かりました。ナキソウニナッタ!



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被災地では水道はもちろん、電気さえ通っていないところがまだまだあります。


役目を果たせない信号機の代わりに、全国から集まってきた警察官が、この炎天下に手信号で交通整理をしていました。


この日は、愛媛県警、警視庁、のゼッケン?のようなものを付けた警察官をバスから見掛けることができました。


本当に、本当に、お疲れ様です。



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今回のボラ活動は、気温の高さもありましたが、午前中に熱中症で倒れた人がいたことから、休憩時間の取り方や、作業活動の終了時間が見直されて、いつもより早めにボラ作業を終えることになりました。


物足りないなんて、思えないくらい、みんな汗だくでクタクタだったと思います。


でも、不思議なんですよね!


終わった後は、みんなヘトヘトのはずなのに、誰もが笑顔なんです。



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ボラ作業が、予定時刻より早めに切り上げとなったことから、石塚観光の取り計らいで石巻市の海岸近くを帰途に走りました。

今まだこのような状況の場所があることを知って欲しい想いがあるのでしょう。


だからこそ、撮りました。


しかし、私はデジカメを持ってきておらず、携帯電話のカメラ機能を使って撮影していたので、走るバスとシャッター後の撮影までに時差が出て、撮るべき場所のものが撮れていません。


それでも、シャッターを押し続けました(携帯電話ですが)。



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瓦礫の山、そう言っていいのか、その山はその奥、その奥までずっと山が続いています。


仕分け作業が済んでいる所もあれば、そうでない所もあります。


人の手が足りません。


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バスは走り続けますが、景色はこの状態が続きます。


トラックが何往復もして、この山は作られました。


生活の跡さえ無いその山の多さに、驚きではなく悲しいの一言です。


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今は、本当に穏やかな海です。


そのすぐ側の建物は流されて、基礎だけが残っているのが見えます。


地震があったこと、津波があったことさえ、今日の海の景色からは想像できません。


だからこそ、伝えていかなければなりません。



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この状況では、人はたちまち流されていまいます。


何もかも、流されてしまいます。


自然の猛威には、どんなに科学が進歩しようと太刀打ちできないのが当然であって、その脅威を、絶対に忘れてはいけません。


千年前にも起こった大地震と津波は、文献と近年の地層調査から分かっていたと言います。


その警告は生かすことができなかったこと、生かせなかった事実と向き合うことで、二度とこのような悲劇の繰り返しを明日に残さないようにしていかなければと思います。


ただ、安全を過剰に出来るほど、今の日本はお金がありません。


豊かに見えたなら、それはツケという借金であり、見せかけの豊かさです。



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↑これ、バスが比較にならないほど、もの凄く大きいんです。


道路脇に転がるよう流れ着いていたのですが、バスの窓から近過ぎるし、対象物が無いから大きさが伝わりませんね。

震災当時の写真が載っているブログがありましたので、覗いてみてください。


被災者自らと、ボランティアの活躍によって、復興がされてきている会社です。


被災した本物の缶詰は、その努力によって多くが売れていったようです。


画像を追っていくと、震災後間もない頃の巨大缶詰の画像が出てきす。


所有者である㈱木の屋のシンボルであることが分かります。




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仙台と言えば、牛タンが有名すよね!


↑これは、帰りのサービスエリアで購入する晩ご飯の一部(牛タン)です。


毎回、贅沢珈琲や、地の食べ物を買います。


自分へのご褒美と、被災地支援と言い張っています。



そして、話は変わりますが、今、日本から世界に「Thank you」を伝えようという取り組みがあります。


2011年3月11日の東日本大震災によって、その日を境に日本全体は悲しみに覆われました。


その深刻な被害を目の前にした時、悲劇と絶望感が誰の頭にもあったと思います。


それでも、日本人の凄いところは、どんな状況下であっても助け合う姿勢が崩れないということです。


今ある着実な復興力と、その原動力である日本人の頑張りを支えてくれたのは、日本の中で起きた救いだけではなく、震災後すぐに行動を起こしてくれた海外から届く多くの支援物資や、義援金だったりしました。


その支援の輪に感謝の気持ちを込めて、世界へお礼を届けようという取り組みです。


白地の紙に、メッセージと日の丸を描いて、顔とメッセージが映るように写真を撮って送ってください。


目標数1,000枚のようですが、100枚くらいしか集まっていないそうです。


できれば、人口分とはいかなくても、1億枚は集まるとイイなぁ。


興味のある方は、「Thank you for the world」事務局へ。



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↑作業を終えて、着替え終わったあと、この写真を撮りました。


本当は、ボラ活動着のまま写真を撮れたら良かったのですが、作業が終わると疲労で体に力が入らず、それに汚れも酷いので断念しました。


失敗したなぁ~


1枚でも多く、感謝の言葉が集まるといいですね!




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いざ、石巻市へ!(4回目のボランティア記録)

さぁ~、午前2時45分になりました、起床時間です。


夏とは言え、この時間帯だと、辺りはまだ暗いかな。



今回、ボランティア活動で4度目の被災地入りの場所は、石巻市です。 



ここは、まだまだ手付かずの場所が多くあって、4ヶ月経つ今でも津波の片付けをしている状態です。


そんな場所では、復興の言葉はまだ見えてきていません。


それでも、被災された方々は不満一つ言わずに、じっと待っています。


待っているのは、私たちから見たら、不甲斐ない政府であっても、被災者の救いはそこにあります。


政府が、本来の機能を発揮して、被災者の救援を、被災地に支援を先導してくれないと、悲しみは失望に刻々と変化してその連鎖は広がるばかりです。



今、事態の悪化を防いでいるのは、政府ではなく、ボランティアの力です。


そして何より、深い悲しみを堪え、先の見えない現状にあってもひたすら辛抱をしている、被災者一人一人の強い優しさにあると思います。


じっと耐えて待つ時間は、どんなに長くて苦しいことかと思います。


思うことは簡単です、それにどれだけ寄り添えるか、その気持ちがあれば国会審議は進むのではないでしょうか。


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とりあえず、恒例になっている出発前の今生の別れ撮影。パシャッ!


帰って来られないなんて、本気で考えている?


平常ではありえない行動をしているときは、最悪の状態を頭に描きながら予見して動いているつもりです。


笑っている顔は、意外にも覚悟の上だったりするtobutoriです。


そんな私ですから、小さいころから親には迷惑を掛けてきたと思います。


今回も、母は、止めても無駄と分かっているからでしょうね。


「行かないで~!」とは言わずに、「帰ってきたらご飯を食べに行こうね、気を付けて行って来てね!」と、言っています。


無事に帰ってくることが、親孝行だなんて、幾つになっても私の甘い考えは直りません。



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水戸駅を午前4時15分にボラバスは出発します。


辺りが薄っすら明るくなってきました。


今日も暑くなること間違いなしだそうです。


(結局、この日の石巻市の気温は、気象庁の発表によると7月に入ってから最高気温を記録したと、ありました。)


そんなわけで、今日も波瀾なボラとなるのでした。


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石巻市の川沿いの場所へ到着しました。 (この辺は初めてです。)


海から3、4キロ離れたところだと思います。


今回、石塚観光のボラバスは、3台で参加しています。


(ざっと、100名くらいになるのでしょうか。)


同じ場所に、石川県のボラバスも来ていました。


石川県から来ているボラバスは、確か以前の添乗員さんの話だと、毎週来ていると聞きました。


だから、私がボランティアに参加すると、必ず石川県のボランティアの方を目にしています。


石川県も、遠いでしょうに・・・ホント、頭が下がります。



現地に到着すると、まずはバスの中で着替えをします。


この炎天下、遮るものは何一つ無い場所で、男性には外で着替えてもらいます。スミマセン。


女性はバスの中で、カーテンを閉めて着替えをします。


今までなら、気温もさほど高くなかったので、着てきた服にカッパを着るだけでヨカッタのですが、この日は午前中のうちに気温が30度を越しています、暑いですが来て着た服を脱いで、長袖、長ズボンに総着替えになります。


いくら安全のためとはいえ、この暑い中、長袖、長ズボン、その上にさらにカッパを着て、首にはタオル、マスクに帽子、ひざ下までの長靴
を履くのは、作業以前に酷な話しです。

そのせいか、思いのほか着替えに時間がかかり、せっかく買っておいた冷え冷えグッズの装着を忘れてしまいました。ショック!



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炎天下で泥のかき出しは、休憩時間を多めに取っても体力の消耗がもの凄いスピードで落ちていきます。


おまけに泥は水分を含んでいるうえ、粒子が非常に細かく、スコップでかき出すと、相当な重さがあり腰にきます。


更に、その泥に足を取られるし、、悪臭と、無数に飛ぶ小さな虫に囲まれ、今回も、うーん、いい汗かいてます。


大量の水分を補給しているのも関わらず、トイレに行きたくならないのは、飲んだ水分がそのまま汗として出ているからでしょうか。


とにかく、大粒の汗が止まりません。



土嚢袋は山となって積まれていきますが、すぐにトラックが来て運び出していきます。


やっても、やっても、終わりませんが、終わらせようと思って作業をしていると倒れるので、無理はせずに作業をしなければいけません。


そんな中、作業開始して間もなくの1回目か、2回目の休憩の時に、中年の男性1名が熱中症で倒れてしいました。


私もすぐに駆け寄りましたが、その男性は倒れた時に、額を切ったようで額から血が出ていました。


うだるような暑さと、日かげのない場所で、倒れない方が不思議なくらいでした。


幸い、今までの場所と違って、ここは近くに看護を受けられる場所があります。


私たちがボラバスから降りた場所は、実は避難所でした。


でも、元は何かの宿泊施設(ペンションか、はたまたラブホテルか?)だと思います、なので避難所になっていたとは気づきませんでした。


外から見ると、1階が駐車場になっていて空洞でした、2階以上の建物内は津波の被害をそれほど受けていない様子です。


避難所が近くにあって、本当に助かりました。


しかし、肝心の、倒れたこの男性を運ぶモノが何一つありません。


近くに、無造作に置かれていた長テーブルがあったので、それを男性の倒れている場所まで運んで、男性を長テーブルに乗せて、看護を受けられる避難所へ運び込みました。


ボランティアの連携がよく、すぐに建物内へ運ばれて看護を受けられたようです。


あとでテレビで知ったのですが、その男性は年齢が61歳、水分補給もしっかりと取っていて、塩分も取っていたとのことです。


休憩時間になったのでトイレに行こうと歩きだしたら、足がふらつき、気づいたら倒れていたそうです。


引き続きテレビの説明で、石巻市の赤十字病院の先生のお話によると・・・


短期で来られるボランティアの人は、前日まで働いたりしている方も多く、ここまで来るための出発時間が早いこと、寝不足状態で被災地に来られている状態を指摘されていました。


睡眠不足で体力が低下しているうえに、この暑さの中で作業をすることは、いくら水分や塩分、休憩時間をちゃんと取っていても、熱中症などに掛り易いというのです。


ごもっともです。



110710_4


それに、倒れた方が出て気づいたことなのですが、作業の手が周りにつられて早くなってしまうという危険性がありました。


作業をするスピードが周りにつられるということは、自分のペースではないということです。


多少の無理があっても、それに追いついていこうとする真面目なボランティアがほとんどです。


私は、ボラをするたびに帰宅後、病院のお世話になっているので、無理をなるべくしないように心がけています。


もちろん、少しでもお役に立ちたいので気持ちは焦りますけどね!


今回、作業を開始して間もなくこの事件があり、場は騒然としましたが、そのことで気付かされたことや、反省することなどが個々に出来たのではないかと思います。


すぐに、作業時間と休憩時間の見直しがあり、避難所からは冷えたペットボトルの差し入れがありました。


気を付けていても、起こってしまったこと、気持ちを新たに引き締めて、その後熱中症で倒れる人は出ませんでした。


しかし、無理をせずと言っても、泥は重いし、体は暑いし、汗は噴き出るし、夏のボラ活動は本当に過酷です。




110710_5
(↑向こう側で青いゼッケンをしている方々が、石川県のボランティアです。)


泥をかき出した後は、地面が暑さですぐに乾いてきます。


そうなると粉塵が酷くなります。


蚊は見ませんでしたが、食事の時間にはハエがどこからともなく集まって来ました。


既に午前中の作業で、皆疲れ切ってます。


食事を終えると、そのまま倒れるかのように地べたで仮眠を取る人が多くいました。


間もなく、午後の作業が開始されます。


この炎天下、初めてボランティアに参加される方もいます。


全身に汗をかいて、ひたすら泥のかき出しをする、かき出した泥を土嚢袋に詰める、地味な作業の繰り返しですが、被災地の明日を着実に作っています。


ここへ来るたびに、驚くほど街はキレイになっています。


昨日まで手付かずだった場所は、今日は人の手が入って、そして明日に続きます。


そんな姿を目にすることが出来るから、被災者の方も、ボランティアの方も、頑張ることが出来るんです。


そんな気がします。(つづく)





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