もう、12月ですね、ホント早い。
あまりの速さに、心が追いついていかないです。
11月に入ると急に寒い日が多くなったせいか、ジン君を思い出すことが多くなってしまって、心が毎日壊れている感じがします。
どうしてかな、あんなに泣いたのに、まだ涙が止まらない。
辛くて、悲しくて、悔やむ気持ちが収まらない。
最初はね、ジン君を失ってしまったという喪失感が半端なくて、心が何も感じない「無」そのものになっていました。
気付くと、私が見る景色から色が無くなっていて。
こんなに静かだったの?と驚くほど生活から音が無くなってしまい、昼間だっていうのに暖かさえ感じない。
空虚な毎日に涙だけが止まらなくて、感情も何も生まれない。
思考が止まった状態でいたら、すぐに悲しみの波が押し寄せてきて、ただただ悲しくて、会いたくて、一時も涙が止まらないほどで、普通にしていることがものすごく大変でした。
外出する気力はなくて、人に会うことも涙を止める自信がないから、極力控えるしかなくて。
深い悲しみに落ちていると、いつの間にか絶望感が襲ってきました。
みんな死んでしまえばよいと、おもったくらい。
死ぬことはとても簡単なことで、気持ちが安らげることだと思えてしまうんです。
目の前にいるミーちゃんさえも、今死んでしまえば楽になると笑顔で考えるくらい、辛くて辛くておかしくなっていました。
そして、その頃は動物病院からかかってくる携帯電話の音が、鳴ってもいないのに聞こえてきて苦しみました。
ジン君が入院していた時、悪い知らせが来るのではないかと毎日携帯電話の音に怯えていたから、ジン君が亡くなった後しばらくしてから、その幻聴がはじまりました。
どうやって謝ればよいのか、どう償えばよいのか、もうここにはいないジン君に対して床に頭をつけて謝っていました。
なぜ、ひとりで逝かせてしまったのか。
私の喪失感と絶望感は、自殺願望まではいきませんが、なぜか夜中にビルの屋上に立っている自分の姿がよく頭に浮かんできていました。
それが頭の中に浮かぶと、楽になれた気がします。
でも、悲しみは終わらない。
そして、この苦しみの矛先は獣医に向けられました。
一緒に頑張っていたジン君を奪った獣医が、どうしても許せなかった。
最期の手術の日、その手術自体も私にはどうしても踏み込めない何かがあって、当日まで行くのをためらいながら、ジン君もあんなに嫌がっていたのに。
私は、連れて行ってしまった。
私の罪。
私の心の中から消えはしない。
人を恨んで楽になろうとしても、心は疲労するばかり、分かっています。
それでも収まらない心は、「チクショウ!!」と大声を発することで、今の自分まで取り戻すことができました。
この言葉に、こんなに力があったなんて、心底楽になれました。
今でもまだ、チキショーと言って自分を取り戻すことがあります。
心が破壊されることって、あるんですね。
守っても、守られるものではないのが心なのだと知りました。
ここまできてしまった私です、普通に頑張って生活をするにはジン君を忘れるしかありませんでした。
そうしないと、終わってしまう。
なのに、また冬がきて。
ジン君を看護していた季節が寒かったから、どうしてもジン君の頑張っていた毎日が蘇ってしまいます。
未だにジン君との楽しい思い出を封印しているくらい、思い出すのがまだツライ。
本当に、辛いです。
色が消えた世界に、やっと色を見つけることができてきたのに、頑張っていたあの頃のジン君が蘇ってしまって、思い出すジン君は可愛くて健気で、だから涙が止まらない。
カレンダー、たった5枚戻せばジン君はそこにいるのに。 そんなこと、いつも思ってしまう。
自分で乗り越えないとって、つくづく分かってはいるのだけれどね。
これほど愛しているジン君を、思わない毎日は私にはなくて、それなのにジン君の写真を見る勇気はない。
けれど、ネットでね、ジン君によく似た「タルぼん」というコがいるのぉ(泣
毛色は違うのに、表情や仕草がジン君そっくりで。
そのコのブログをね、たまに覗きに行って、笑顔と元気をもらっています。
あまりの速さに、心が追いついていかないです。
11月に入ると急に寒い日が多くなったせいか、ジン君を思い出すことが多くなってしまって、心が毎日壊れている感じがします。
どうしてかな、あんなに泣いたのに、まだ涙が止まらない。
辛くて、悲しくて、悔やむ気持ちが収まらない。
最初はね、ジン君を失ってしまったという喪失感が半端なくて、心が何も感じない「無」そのものになっていました。
気付くと、私が見る景色から色が無くなっていて。
こんなに静かだったの?と驚くほど生活から音が無くなってしまい、昼間だっていうのに暖かさえ感じない。
空虚な毎日に涙だけが止まらなくて、感情も何も生まれない。
思考が止まった状態でいたら、すぐに悲しみの波が押し寄せてきて、ただただ悲しくて、会いたくて、一時も涙が止まらないほどで、普通にしていることがものすごく大変でした。
外出する気力はなくて、人に会うことも涙を止める自信がないから、極力控えるしかなくて。
深い悲しみに落ちていると、いつの間にか絶望感が襲ってきました。
みんな死んでしまえばよいと、おもったくらい。
死ぬことはとても簡単なことで、気持ちが安らげることだと思えてしまうんです。
目の前にいるミーちゃんさえも、今死んでしまえば楽になると笑顔で考えるくらい、辛くて辛くておかしくなっていました。
そして、その頃は動物病院からかかってくる携帯電話の音が、鳴ってもいないのに聞こえてきて苦しみました。
ジン君が入院していた時、悪い知らせが来るのではないかと毎日携帯電話の音に怯えていたから、ジン君が亡くなった後しばらくしてから、その幻聴がはじまりました。
どうやって謝ればよいのか、どう償えばよいのか、もうここにはいないジン君に対して床に頭をつけて謝っていました。
なぜ、ひとりで逝かせてしまったのか。
私の喪失感と絶望感は、自殺願望まではいきませんが、なぜか夜中にビルの屋上に立っている自分の姿がよく頭に浮かんできていました。
それが頭の中に浮かぶと、楽になれた気がします。
でも、悲しみは終わらない。
そして、この苦しみの矛先は獣医に向けられました。
一緒に頑張っていたジン君を奪った獣医が、どうしても許せなかった。
最期の手術の日、その手術自体も私にはどうしても踏み込めない何かがあって、当日まで行くのをためらいながら、ジン君もあんなに嫌がっていたのに。
私は、連れて行ってしまった。
私の罪。
私の心の中から消えはしない。
人を恨んで楽になろうとしても、心は疲労するばかり、分かっています。
それでも収まらない心は、「チクショウ!!」と大声を発することで、今の自分まで取り戻すことができました。
この言葉に、こんなに力があったなんて、心底楽になれました。
今でもまだ、チキショーと言って自分を取り戻すことがあります。
心が破壊されることって、あるんですね。
守っても、守られるものではないのが心なのだと知りました。
ここまできてしまった私です、普通に頑張って生活をするにはジン君を忘れるしかありませんでした。
そうしないと、終わってしまう。
なのに、また冬がきて。
ジン君を看護していた季節が寒かったから、どうしてもジン君の頑張っていた毎日が蘇ってしまいます。
未だにジン君との楽しい思い出を封印しているくらい、思い出すのがまだツライ。
本当に、辛いです。
色が消えた世界に、やっと色を見つけることができてきたのに、頑張っていたあの頃のジン君が蘇ってしまって、思い出すジン君は可愛くて健気で、だから涙が止まらない。
カレンダー、たった5枚戻せばジン君はそこにいるのに。 そんなこと、いつも思ってしまう。
自分で乗り越えないとって、つくづく分かってはいるのだけれどね。
これほど愛しているジン君を、思わない毎日は私にはなくて、それなのにジン君の写真を見る勇気はない。
けれど、ネットでね、ジン君によく似た「タルぼん」というコがいるのぉ(泣
毛色は違うのに、表情や仕草がジン君そっくりで。
そのコのブログをね、たまに覗きに行って、笑顔と元気をもらっています。