ボランティア

鶴田まこみさん

任期満了に伴う『茨城県知事選挙』が、8月27日に行われます。

立候補したのは、現職の橋本昌氏(71)と、自民・公明両党が推薦する新人の大井川和彦氏(53)、共産党が推薦する新人の鶴田真子美氏(52)の3人です。

現職知事の橋本さんは、最多選の6期目を務め24年になります。

それでも十分長過ぎるだろうと思っているのに、日本の現職都道府県知事としては最多となる7期目を目指すというのだから、困りもの。

橋本さんの長い県政で確固たる基盤は出来上がっていると思うので、これからはそれに足りなかったものを補える人に知事を任せたいです。

純粋に県民と茨城県のことを考えてくれるなら、もう辞めて!と以前から思っていました。

だから、絶対この人に票を入れることはありません。

まさか、2020年の東京五輪で茨城県鹿嶋市の「カシマスタジアム」がサッカー会場に決定したけれども、それに出たいのかぁーと思ってしまいます(笑

それに、この24年間、茨城県は全国的に犬猫殺処分数がワーストクラスです。

どんな言葉も、誰の意見も、決して届きませんでした。

忘れもしない、2014年7月1日、動物愛護の活動家としての側面をもつ女優の「杉本彩さん」が茨城県知事に直接陳情のために県庁を訪れました。

杉本彩さんのブログを読むと、申し訳ない気持ちと、橋本さんに落胆したのを覚えています。  → 

可笑しいのが、今回の選挙であの橋本さんが犬猫の殺処分をゼロとか言い出しました。

これは、鶴田まこみさんが強く訴えている「いのちが大切」の中で小さな弱い命まで守る、犬猫殺処分ゼロを成し遂げるを意識してのことです。

因みに、大井川さんも犬猫殺処分ゼロを掲げています。

ですがこの二人、微塵も実績がありません。

鶴田まこみさんだけは、違いました。

2年前の2015年、茨城県常総市における「野犬問題」で、同じ県民として何かできないものかと考えていました。

「常総市の野犬問題」を知ったのが、ブログ「犬猫救済の輪」の活動日記からでした。 → 

ですが、現状の酷さ、事の深刻さに私は怖気づいてしまいました。

小さな協力でしたが、情報の拡散さえ諦めてしまったんです。

そのことがずっと、心に濃い影を落としていたのですが、つい先日の鶴田まこみさんの言葉で救われました。

余りに悲しくて怖かった常総市の野犬問題、その後の経過さえも追えなかったのに、行政を動かして解決していたんです。

実は私、随時ボランティア募集中だった鶴田まこみさんの水戸事務所で少しだけお手伝いをしています(笑

今回の知事選で一番はじめに手にした鶴田まこみさんのチラシに、保護猫を35匹飼っていますと書かれていたことが切っ掛けでした。

政策や公約とか載せたいことは沢山あるでしょうに、そのチラシに保護ネコ35匹と暮らすなんてことを書く人に興味を持ちました♪

原発を止めるなど、前面にはっきりと具体的な政策を掲げる姿勢も評価できましたが、私が票を入れるこの人はどんな人だろうと関心が沸いて、ボランティアに通い始めました。

そして、先日の12日(土)に鶴田まこみさんが水戸入りをしたのですが、その日の夕方に水戸事務所でNHK水戸放送局の取材がありました。


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NHKが主要としていたのは、「東海第2原発の再稼働は許しません」だったので、それらに関わる人が集まっていましたが、鶴田まこみさんの熱い訴えはそれだけじゃありません。

念頭に原発ストップが強くあるのは、福島原発事故後に現地入りをして現地の声と空気を吸っているからだと思いました。

その現地の声の中には、動物たちの鳴き声にならない声がありました。

そして常総市の野犬問題は、今日のインタビューの中で語られたものでした。

きっと、テレビ的には放送されない部分でしょうが、私の心に深く刻まれました。

動物の話となると、涙が止まりません。

鶴田まこみさんの言う「17年間の市民活動の中で、草の根で地をはうようにして人間や動物のために活動し、冷たい県政を目で見て、肌で感じてきた。」という全ての言葉を理解できた瞬間でした。

「本物」だと思いました。

到底できないことを、この人は遣って退けていました。

どんなに強い信念があっても、人は終着点までの計算をしてしまいます。

だから前に進めなくなるものなのに、鶴田まこみさんは恐れることなく守り抜きました。

屈することだけが恐れることなのに、何も始めないで諦めてしまった私とは雲泥の差です。

素敵な笑顔の鶴田まこみさんは、その容姿から想像できないくらいとても強い信念をお持ちの方でした。

最後までやり遂げることができる人です。

そういうのも見てしまうと、橋本さんとか、大井川さんとか、影が薄くなってしまいました。

行動力の基礎となる部分が違いすぎますから。

「いのち」ですからね、命への責任の実績が無いお二人とは比べようがありません。

特に橋本さんは、私から見たら信用なりません。

24年もの間、何も手を付けなかった原発問題や殺処分ゼロのことを、今になって付け加えてくるなんて虫が良すぎます。

私の関心処は、もちろん犬猫の殺処分をなくすこと。

小さな命まで本当に守ることができるのか、個人や各愛護団体は行動力や柔軟性はあるものの、限界のある大きな問題ですから、真摯に手を取り合える行政の力が必要です。

実現のための高いハードルには両者の協働がとても重要ですし、行政が加われば市町村による取り組みの格差を積極的かつ継続的に管理することが可能になります。

小さな命を大事にする社会は、人にとっても生きやすいはずです。

そんな時代が来たのかもしれません。

そして、原発の問題。

東海第2原発の再稼働問題は、関心度の高い争点の一つになっていますが、日本のエネルギー事情を考えると原発に代わる代替エネルギーが現時点であるのかどうか、あれば問題はないと思います。

ただ、低いエネルギー事情の現状を考えると、原発ゼロは可能かどうか。

廃炉の主張は通せるものなのか、現時点では疑問があります。

ですが、今は無理でもその準備はできるのではないでしょうか。

原発のはじまりが茨城県なら、原発から代替エネルギーを実現する準備を茨城県で試行するのも良いのではないかと思うようになりました。

確かに、福島の原子力発電所の事故を受けて、国内外で原発反対の動きが強くなっています。

そこには、感情的な議論も感じられるので私的には触れたくなかったのですが、将来のエネルギー事情を吟味すれば原発より環境や社会に優しいエネルギーを探る必要が遅かれ早かれ出てきます。

鶴田まこみさんの主張する省エネ・再生可能エネルギーは、現状のエネルギー量からみると火力発電に電力供給の多くを依存することになります。

ですが、その化石燃料に対し、エネルギー資源の問題や環境に悪影響を及ぼさない点を解消できるエネルギーです。

原子力発電は、ウランが核分裂をしたときに生じる熱エネルギーを利用し、水を蒸発させることによりタービンを回し発電する仕組みになります。

火力発電は、燃料が違うだけで、その仕組みは原子力発電とほとんど変わりません。

再生可能エネルギーは、太陽光、水力、風力、地熱などから発電、燃料等に変換します。

原発ゼロの要求は、原発の生む高レベル放射能物質が、人体や環境に恐ろしい影響を及ぼすためです。

高レベル放射能物資の放射能が、人体に影響を及ぼさなくなるまでに必要な時間は約十万年と言われています。

感情論で原発ゼロを叫ぶのではなく、解決困難な問題を抱える以上は、原子力発電であろうと、再生可能エネルギーであろうと、この課題に向き合わなければなりません。

そういったチャレンジ精神を可能にできる人こそが、未来の知事に相応しいのです。

大井川さんであろうと、鶴田さんであろうと、構わない。

あ、旧人には無理です。







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決して喜べない名誉_フクシマの英雄たち

もう既に皆さんは、ご存知かと思います。


「福島の英雄たち」に、スペインの皇太子賞が授与されることになりました。


このことは、日本にとって大変名誉なことです。


そして、その背景には、世界の人たちが「フクシマ」を見守っている、まさに事故収束への祈りが込められたものだと思います。


しかし、この授賞に「おめでとう」の言葉は、日本の中から出ることはありません。


それでも、命がけで作業をする人たちがいます。



危険を承知で、原発の暴走を目の前にしながら、仕事に追われる毎日を過ごしている人たちがいます。


その献身的な働きに、私は、「おめでとう」の代わりに、「ありがとう」を捧げます。



心から・・・


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受賞の内容は、以下の通りです。


スペインのアストゥリアス皇太子財団は、アストゥリアス皇太子賞の平和部門賞を、東日本大震災による福島第1原発事故で初期対応にあたった「フクシマの英雄たち」に授賞すると発表した。


授賞対象となった「フクシマの英雄たち」というのは、


①現場対応にあたった東京電力(TEPCO)従業員や関連の作業員


②原子炉の冷却作業で放水にあたった消防隊員


③原子炉上空からのヘリコプターによる海水散布や、高濃度の放射能汚染で立入禁止区域に指定された地域からの住民避難に従事した陸上自衛隊の隊員


とし、


授賞の理由は、「彼らは自らを犠牲として、津波による核災害がその壊滅的影響を何倍にも拡大させることを阻止した。自らの身にも深刻な影響がもたらされる恐れも顧みず、彼らは決断を下し、人としての最も崇高な価値を示した」と説明しています。


そして、「彼らのなしたことは、日本社会に根付く義務感、逆境での品位、謙虚さ、寛容、勇気のたまものだ」と称揚しました。



その初期対応の最中、東京電力の社長が福島原発から全作業員の撤退を実行していたら、原発の周辺とか、東北とかの問題ではなくて、この日本がどうなっていたか想像すらできません。



福島発電所の吉田所長が「まだ頑張れる」と主張したこと、菅元首相が東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫ったこと、両者共に命がけであったと思います。


その覚悟が見えなかったのが、東京電力の社長を含めた幹部たちだったのではないでしょうか。


そのことだけは、あの時から変わらず、腹立たしく思っています。




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今回の名誉ある受賞は、福島の英雄たちに世界中の人たちが心を動かされたことは言うまでもありません。


その勇姿を見つめていた世界中の子どもたちが、将来人の為に尽くせる仕事をしたいと思った影響力も含み、この授与には大きな意味が持たされているのではないでしょうか。


名誉ある受賞とは別に、福島原発の事故で、放射能漏れから尾を引く風評被害は止まりません。


放射能や、被ばくを知らないから怖い。


放射能や、被ばくを知っているから怖い。


両方言えることだと思います。


現場で働く人も、同じです。怖いはずなんです。


それでも、最悪の事態を食い止めようと懸命に作業にあたっている英雄たちに感謝するとともに、この世界中から祈りの輪が届きますよう、心からエールを送ります。



余談ですが、防衛大学の生みの親である吉田茂が、昭和32年第1期学生に送った卒業式の訓示をご紹介します。


君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。

しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。

言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。

一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。 自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ。

   

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踊る市長!!

昨日は、水戸市のお隣「ひたちなか市」で、沖縄民謡ライブのお手伝いをしてきました。


はい、ものすんごく、楽しかったです。


この時期の恒例となっているイベントのようで、今年で8回目を数えるそうです。


この日の来賓には、ひたちなか市長をはじめ、ひたちなか商工会議所の会頭だったかしら?、それに教育委員会からも、あとJ銀行の頭取だった○○氏も来てるし・・・


うーん、普通のライブじゃないと思う。


とにかく、スタッフも楽しんで仕事をしているし、お客様は追っかけと言われる人を含め、宣伝もしていないのになぜか集まって会場が満たされるのだから、うーん、これはいったい?!!


そして、私を驚かせたもの↓、お客さまが踊る~♪


市長も、踊る~♪


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この辺りでの知名度は低いですが、石垣島では有名人の「鳩間ファミリー」による沖縄民謡のライブです。


今回は、東日本大震災復興支援チャリティライブとなって、売上の一部を被災地であるひたちなか市へ寄付してくださいました。


私は、たまたま石塚観光の石巻市ボランティアへ参加した時に知り合った女性から、声を掛けられて今日こちらへお手伝いに来ているわけです。


(makiちゃん、めちゃめちゃ楽しかったです、ありがとう・・・


会場では、石垣島から運ばれたパイナップルや、泡盛などが振舞われていて、茨城県にも沖縄の人がたくさんいらっしゃることが分かりました。


うーん、それにしても、会場中はパイナップルの甘~い香りに包まれて、ここだけ南国の世界です。


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私は、沖縄に2度程旅行をしたことがあるのですが、本島から離れる北海道の大自然に感動したように、沖縄の大自然にも感動したことを覚えています。


まるで、ここが日本ではないかのような錯覚を起こすくらいくらい、空気が違っているし、目に飛び込む風景も違ってきます。


何より、異国の香りを感じさせるような文化と歴史に、深い興味を持ちました。


ただ、それには、とても悲しい歴史の背景があって、それらを知ると、私たちが憎んでいたはずの戦争以外にも、ここの人たちを苦しめていた罪深い日本の歴史を知ることになります。


沖縄と同様の悲しい歴史は、確かに石垣島にもありました。



私がその方々の子孫だったなら、それは昔のことと、許せるのかな。


ふと、そんなことを思いました。


ここにいる、ひたちなか市の人たちと、石垣島の人たちは、もう何年も行き来を交わす仲で、親交と絆が着実に育まれています。


笑顔がとても素敵な鳩間ファミリーでしたが、ファミリーのお父さんの笑顔は特に印象的で、深い大きな優しさがあふれてくるのを感じました。


深く刻まれたしわの一つ一つは、とても魅力的で、優しくて可愛らしいお顔をしているのだけれど、とても男らしい重みのあるお顔でした。


背負うものが、違い過ぎるのかな。なぜか、勝てない気がしました。


うーん、とにかく、とても素敵でした。


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会場でも相当盛り上がっていましたが、終了後の鳩間ファミリーを囲んだスタッフのお疲れ様会では、やはり最後の締めに踊り明かすことになりました。


私、どうしても、ギクシャクした踊りになってしまい、みんなが笑顔なのに、笑うに笑えませんでしたよ~


正直、私はこういう場が苦手で、社会人になった時から平気で避ける人でした。


それでも、あの手この手で誘われるのですが、権力にも屈しないほど頑ななので、いざこの年で出掛けてみると、何も出来ない自分が恥ずかしくなります。


でも、たくさんの人とお話が出来て、楽しかったですよ~



↓鳩間ファミリーのボーカル「かなちゃん」25歳です。可愛いかったです~
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そうそう、鳩間ファミリーの追っかけは県外各地から集まるようなのですが、その中に岡山県からの追っかけの人がいて、その人に石垣島には行かれるんですか?と聞くと。


「うーん、先月は行ってないかなぁ~」


って、どれだけの頻度で行ってるんだいと、驚いてしまった。


仕事を終えれば、追っかけをしているのだから、金銭的にも、体力的にも、大変なんだろうな~


と、思っていたら、その人はその後、廊下で寝ていました。 面白過ぎ・・・


他にも、たくさん楽しいお話が聞けました。


とにかく、音楽があって、みんなで踊る、こういう風習って、意外といいわ!

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ネモ:「おかあさん、ボクも、踊れるでちよ! ほれ!!」


私:「うーん、まぁーまぁーかな?」



あ、それで、この日のお手伝いは、毎年このライブ用に作成されるTシャツがあって、そのTシャツを販売する担当でした。


もちろん、スタッフの私もそれを着ています。


皆さんそれを買うと、その場ですぐに着てくれます。


というか、それを着て踊るらしい・・・


現金を扱う唯一の仕事だっただけに、ドキドキでしたが、かなりフランクな感じで流れていきました。

私、役に立てたのだろうか?


お昼のお弁当はサイコーに美味しかったし、Tシャツはもらって着てるし、打ち上げでお寿司は食べ放題だし、お土産にパイナップルまでもらえるし、それに、よくよく話を聞いていると、皆さん地元のそれも町内会が一緒の人たちで構成されているような・・・(汗


そんな中に紛れてた私、よかったのだろうかと、今頃思うのでした。


それにしても、ボラ活動から私をいつも誘ってくれるmakiちゃん、主催者がmakiちゃんのお父さんだったことも驚きだったけれど、常陽銀行のあの○○頭取が親戚だったなんて、知らんかったよ~(汗・汗・汗


でも、楽しかった・・・あはは




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写真で見る、今の石巻市

今回のボラバスには、団体で参加されている人が多くいました。


私の乗っているバスにも、ある幼稚園の先生(園長先生を含む)や、その父兄さんが10名弱でいらっしゃったと思います。


そうそう、この幼稚園は、只者ではないんです。^^;


園児の数が250名強、いるのだそうです。す、すごいわ!


どんだけ、大きな施設なんでしょうねぇ・・・


予定では、もう少し多い人数でボランティアに参加できると見込んでいたようですが、残念なことに集まりが悪く、バスの手配が困難となり、この石塚観光を利用されたそうです。


たぶん、それで正解だったと思います、よ。


そして、バスの席で私の隣は、大学生(女子)が3名で参加していました。


これから夏休みに入れば、学生ボランティアの活躍に少し期待ができそうですね。



話を聞けば、まだ学校ではボランティアに参加したという人は周りにいないそうです。


大人しい可愛らしい女の子でしたが、この震災の深刻さに前々からボラ参加をしたかったと話してくれました。


同時に、初めてのボラ活動と、未知の被災地の様子に不安を持っていました。


私が今まで見てきたこと、ボラの作業内容などを少し話すと、質問が次から次へと出てきました。


添乗員さんがボラバスの中で流す、ボラ活動の注意点をまとめたDVDでは、物足りなさを感じたのでしょうね。うん、うん、分かるぞ!



さて、前置きが長くなりましたが、以下は海岸から近い石巻市の現在の様子です。


人も車も通行しているので、自衛隊や警察の行方不明者の捜索が済んでいる所になります。


辺りを見渡すと、被災地に初めて来た頃に見た無残にひっくり返った車や、枝のない木々などは地面に刺さっていません。


だいぶ、人の手が入った状態であります。


それでも、まだこんな状態なんです。


これで、明日から普通の生活なんて想像できますか? これが、石巻市の現実です。



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↑何も無い。



生活の全て、生きてきた証が、流されたと同じです。



自分の住んでいた家が、街が、一瞬で無くなった時、これからどこへ行けばいいのか、これから何をしたらいいのか、この場所で考えることが出来るでしょうか。



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↑前方左、ゴミの山に見えますよね。


しかし、これは、この持ち主がゴミとして出したものではありません。


地震のその時まで、使われていたものです。


持ち主不明のものだってあるでしょう、本当のゴミとして出されたものはとても少ないと思います。



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この持ち物の一つ一つが、ここまでたどり着くのに、どれだけの月日が経ったことか。


大切な思い出の品は、海に流されたり、この山の中にあったり、私たちの生活とはあまりに違い過ぎます。


大切な物の山は、果てしなく続いていました。



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そして、被災地には、たくさんの重機が入っています(それでも足りないですが)。


日本で主に重機を扱う会社が、被災地に重機を出して活躍をされていると聞きました。


私たちの知らないところで、知らない形で、たくさんの支援の輪が広がっているのです。


そう言えば、前回までのボラの時、宮城県に向かう高速道路のサービスエリアで、神戸ナンバーの車を多く見ました。


普通車もあれば、業務用の車もあります。


東日本大震災の災害ボランティアと、支援の為のメッセージを掲げた車です。


こんな遠くまで、本当にお疲れ様です。嬉しいですね!


阪神大震災の恩返しで被災地に向かっていることは、すぐに分かりました。ナキソウニナッタ!



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被災地では水道はもちろん、電気さえ通っていないところがまだまだあります。


役目を果たせない信号機の代わりに、全国から集まってきた警察官が、この炎天下に手信号で交通整理をしていました。


この日は、愛媛県警、警視庁、のゼッケン?のようなものを付けた警察官をバスから見掛けることができました。


本当に、本当に、お疲れ様です。



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今回のボラ活動は、気温の高さもありましたが、午前中に熱中症で倒れた人がいたことから、休憩時間の取り方や、作業活動の終了時間が見直されて、いつもより早めにボラ作業を終えることになりました。


物足りないなんて、思えないくらい、みんな汗だくでクタクタだったと思います。


でも、不思議なんですよね!


終わった後は、みんなヘトヘトのはずなのに、誰もが笑顔なんです。



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ボラ作業が、予定時刻より早めに切り上げとなったことから、石塚観光の取り計らいで石巻市の海岸近くを帰途に走りました。

今まだこのような状況の場所があることを知って欲しい想いがあるのでしょう。


だからこそ、撮りました。


しかし、私はデジカメを持ってきておらず、携帯電話のカメラ機能を使って撮影していたので、走るバスとシャッター後の撮影までに時差が出て、撮るべき場所のものが撮れていません。


それでも、シャッターを押し続けました(携帯電話ですが)。



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瓦礫の山、そう言っていいのか、その山はその奥、その奥までずっと山が続いています。


仕分け作業が済んでいる所もあれば、そうでない所もあります。


人の手が足りません。


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バスは走り続けますが、景色はこの状態が続きます。


トラックが何往復もして、この山は作られました。


生活の跡さえ無いその山の多さに、驚きではなく悲しいの一言です。


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今は、本当に穏やかな海です。


そのすぐ側の建物は流されて、基礎だけが残っているのが見えます。


地震があったこと、津波があったことさえ、今日の海の景色からは想像できません。


だからこそ、伝えていかなければなりません。



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この状況では、人はたちまち流されていまいます。


何もかも、流されてしまいます。


自然の猛威には、どんなに科学が進歩しようと太刀打ちできないのが当然であって、その脅威を、絶対に忘れてはいけません。


千年前にも起こった大地震と津波は、文献と近年の地層調査から分かっていたと言います。


その警告は生かすことができなかったこと、生かせなかった事実と向き合うことで、二度とこのような悲劇の繰り返しを明日に残さないようにしていかなければと思います。


ただ、安全を過剰に出来るほど、今の日本はお金がありません。


豊かに見えたなら、それはツケという借金であり、見せかけの豊かさです。



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↑これ、バスが比較にならないほど、もの凄く大きいんです。


道路脇に転がるよう流れ着いていたのですが、バスの窓から近過ぎるし、対象物が無いから大きさが伝わりませんね。

震災当時の写真が載っているブログがありましたので、覗いてみてください。


被災者自らと、ボランティアの活躍によって、復興がされてきている会社です。


被災した本物の缶詰は、その努力によって多くが売れていったようです。


画像を追っていくと、震災後間もない頃の巨大缶詰の画像が出てきす。


所有者である㈱木の屋のシンボルであることが分かります。




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仙台と言えば、牛タンが有名すよね!


↑これは、帰りのサービスエリアで購入する晩ご飯の一部(牛タン)です。


毎回、贅沢珈琲や、地の食べ物を買います。


自分へのご褒美と、被災地支援と言い張っています。



そして、話は変わりますが、今、日本から世界に「Thank you」を伝えようという取り組みがあります。


2011年3月11日の東日本大震災によって、その日を境に日本全体は悲しみに覆われました。


その深刻な被害を目の前にした時、悲劇と絶望感が誰の頭にもあったと思います。


それでも、日本人の凄いところは、どんな状況下であっても助け合う姿勢が崩れないということです。


今ある着実な復興力と、その原動力である日本人の頑張りを支えてくれたのは、日本の中で起きた救いだけではなく、震災後すぐに行動を起こしてくれた海外から届く多くの支援物資や、義援金だったりしました。


その支援の輪に感謝の気持ちを込めて、世界へお礼を届けようという取り組みです。


白地の紙に、メッセージと日の丸を描いて、顔とメッセージが映るように写真を撮って送ってください。


目標数1,000枚のようですが、100枚くらいしか集まっていないそうです。


できれば、人口分とはいかなくても、1億枚は集まるとイイなぁ。


興味のある方は、「Thank you for the world」事務局へ。



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↑作業を終えて、着替え終わったあと、この写真を撮りました。


本当は、ボラ活動着のまま写真を撮れたら良かったのですが、作業が終わると疲労で体に力が入らず、それに汚れも酷いので断念しました。


失敗したなぁ~


1枚でも多く、感謝の言葉が集まるといいですね!




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いざ、石巻市へ!(4回目のボランティア記録)

さぁ~、午前2時45分になりました、起床時間です。


夏とは言え、この時間帯だと、辺りはまだ暗いかな。



今回、ボランティア活動で4度目の被災地入りの場所は、石巻市です。 



ここは、まだまだ手付かずの場所が多くあって、4ヶ月経つ今でも津波の片付けをしている状態です。


そんな場所では、復興の言葉はまだ見えてきていません。


それでも、被災された方々は不満一つ言わずに、じっと待っています。


待っているのは、私たちから見たら、不甲斐ない政府であっても、被災者の救いはそこにあります。


政府が、本来の機能を発揮して、被災者の救援を、被災地に支援を先導してくれないと、悲しみは失望に刻々と変化してその連鎖は広がるばかりです。



今、事態の悪化を防いでいるのは、政府ではなく、ボランティアの力です。


そして何より、深い悲しみを堪え、先の見えない現状にあってもひたすら辛抱をしている、被災者一人一人の強い優しさにあると思います。


じっと耐えて待つ時間は、どんなに長くて苦しいことかと思います。


思うことは簡単です、それにどれだけ寄り添えるか、その気持ちがあれば国会審議は進むのではないでしょうか。


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とりあえず、恒例になっている出発前の今生の別れ撮影。パシャッ!


帰って来られないなんて、本気で考えている?


平常ではありえない行動をしているときは、最悪の状態を頭に描きながら予見して動いているつもりです。


笑っている顔は、意外にも覚悟の上だったりするtobutoriです。


そんな私ですから、小さいころから親には迷惑を掛けてきたと思います。


今回も、母は、止めても無駄と分かっているからでしょうね。


「行かないで~!」とは言わずに、「帰ってきたらご飯を食べに行こうね、気を付けて行って来てね!」と、言っています。


無事に帰ってくることが、親孝行だなんて、幾つになっても私の甘い考えは直りません。



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水戸駅を午前4時15分にボラバスは出発します。


辺りが薄っすら明るくなってきました。


今日も暑くなること間違いなしだそうです。


(結局、この日の石巻市の気温は、気象庁の発表によると7月に入ってから最高気温を記録したと、ありました。)


そんなわけで、今日も波瀾なボラとなるのでした。


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石巻市の川沿いの場所へ到着しました。 (この辺は初めてです。)


海から3、4キロ離れたところだと思います。


今回、石塚観光のボラバスは、3台で参加しています。


(ざっと、100名くらいになるのでしょうか。)


同じ場所に、石川県のボラバスも来ていました。


石川県から来ているボラバスは、確か以前の添乗員さんの話だと、毎週来ていると聞きました。


だから、私がボランティアに参加すると、必ず石川県のボランティアの方を目にしています。


石川県も、遠いでしょうに・・・ホント、頭が下がります。



現地に到着すると、まずはバスの中で着替えをします。


この炎天下、遮るものは何一つ無い場所で、男性には外で着替えてもらいます。スミマセン。


女性はバスの中で、カーテンを閉めて着替えをします。


今までなら、気温もさほど高くなかったので、着てきた服にカッパを着るだけでヨカッタのですが、この日は午前中のうちに気温が30度を越しています、暑いですが来て着た服を脱いで、長袖、長ズボンに総着替えになります。


いくら安全のためとはいえ、この暑い中、長袖、長ズボン、その上にさらにカッパを着て、首にはタオル、マスクに帽子、ひざ下までの長靴
を履くのは、作業以前に酷な話しです。

そのせいか、思いのほか着替えに時間がかかり、せっかく買っておいた冷え冷えグッズの装着を忘れてしまいました。ショック!



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炎天下で泥のかき出しは、休憩時間を多めに取っても体力の消耗がもの凄いスピードで落ちていきます。


おまけに泥は水分を含んでいるうえ、粒子が非常に細かく、スコップでかき出すと、相当な重さがあり腰にきます。


更に、その泥に足を取られるし、、悪臭と、無数に飛ぶ小さな虫に囲まれ、今回も、うーん、いい汗かいてます。


大量の水分を補給しているのも関わらず、トイレに行きたくならないのは、飲んだ水分がそのまま汗として出ているからでしょうか。


とにかく、大粒の汗が止まりません。



土嚢袋は山となって積まれていきますが、すぐにトラックが来て運び出していきます。


やっても、やっても、終わりませんが、終わらせようと思って作業をしていると倒れるので、無理はせずに作業をしなければいけません。


そんな中、作業開始して間もなくの1回目か、2回目の休憩の時に、中年の男性1名が熱中症で倒れてしいました。


私もすぐに駆け寄りましたが、その男性は倒れた時に、額を切ったようで額から血が出ていました。


うだるような暑さと、日かげのない場所で、倒れない方が不思議なくらいでした。


幸い、今までの場所と違って、ここは近くに看護を受けられる場所があります。


私たちがボラバスから降りた場所は、実は避難所でした。


でも、元は何かの宿泊施設(ペンションか、はたまたラブホテルか?)だと思います、なので避難所になっていたとは気づきませんでした。


外から見ると、1階が駐車場になっていて空洞でした、2階以上の建物内は津波の被害をそれほど受けていない様子です。


避難所が近くにあって、本当に助かりました。


しかし、肝心の、倒れたこの男性を運ぶモノが何一つありません。


近くに、無造作に置かれていた長テーブルがあったので、それを男性の倒れている場所まで運んで、男性を長テーブルに乗せて、看護を受けられる避難所へ運び込みました。


ボランティアの連携がよく、すぐに建物内へ運ばれて看護を受けられたようです。


あとでテレビで知ったのですが、その男性は年齢が61歳、水分補給もしっかりと取っていて、塩分も取っていたとのことです。


休憩時間になったのでトイレに行こうと歩きだしたら、足がふらつき、気づいたら倒れていたそうです。


引き続きテレビの説明で、石巻市の赤十字病院の先生のお話によると・・・


短期で来られるボランティアの人は、前日まで働いたりしている方も多く、ここまで来るための出発時間が早いこと、寝不足状態で被災地に来られている状態を指摘されていました。


睡眠不足で体力が低下しているうえに、この暑さの中で作業をすることは、いくら水分や塩分、休憩時間をちゃんと取っていても、熱中症などに掛り易いというのです。


ごもっともです。



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それに、倒れた方が出て気づいたことなのですが、作業の手が周りにつられて早くなってしまうという危険性がありました。


作業をするスピードが周りにつられるということは、自分のペースではないということです。


多少の無理があっても、それに追いついていこうとする真面目なボランティアがほとんどです。


私は、ボラをするたびに帰宅後、病院のお世話になっているので、無理をなるべくしないように心がけています。


もちろん、少しでもお役に立ちたいので気持ちは焦りますけどね!


今回、作業を開始して間もなくこの事件があり、場は騒然としましたが、そのことで気付かされたことや、反省することなどが個々に出来たのではないかと思います。


すぐに、作業時間と休憩時間の見直しがあり、避難所からは冷えたペットボトルの差し入れがありました。


気を付けていても、起こってしまったこと、気持ちを新たに引き締めて、その後熱中症で倒れる人は出ませんでした。


しかし、無理をせずと言っても、泥は重いし、体は暑いし、汗は噴き出るし、夏のボラ活動は本当に過酷です。




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(↑向こう側で青いゼッケンをしている方々が、石川県のボランティアです。)


泥をかき出した後は、地面が暑さですぐに乾いてきます。


そうなると粉塵が酷くなります。


蚊は見ませんでしたが、食事の時間にはハエがどこからともなく集まって来ました。


既に午前中の作業で、皆疲れ切ってます。


食事を終えると、そのまま倒れるかのように地べたで仮眠を取る人が多くいました。


間もなく、午後の作業が開始されます。


この炎天下、初めてボランティアに参加される方もいます。


全身に汗をかいて、ひたすら泥のかき出しをする、かき出した泥を土嚢袋に詰める、地味な作業の繰り返しですが、被災地の明日を着実に作っています。


ここへ来るたびに、驚くほど街はキレイになっています。


昨日まで手付かずだった場所は、今日は人の手が入って、そして明日に続きます。


そんな姿を目にすることが出来るから、被災者の方も、ボランティアの方も、頑張ることが出来るんです。


そんな気がします。(つづく)





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冷え冷えグッズ

今週の土曜日(7/9)に、ボランティアで宮崎県石巻市へ行くのですが、たぶんまた蒸し暑いんだと思います。



例え雨が降って多少気温が下がったとしても、全身をカッパや、長靴や、マスクや、ゴーグルや、タオルや、帽子に、覆われているので、暑いに決まっています。ヒエー



日本の夏は、本当に蒸し暑くてかないません・・・



それでも日本人はスゴイから、この蒸し暑さを解消するためのグッズが山ほどあります。



日本人の優れた知恵は、古来から変わらずDNAに受け継がれていて、この蒸し暑さも楽しみながらというのが素晴らしいところです。



浴衣、風鈴、うちわ、そば枕、そうめん、かき氷、下駄、よしず、すだれ、打ち水、怪談、などなど、挙げたらきりがないですね。



衣食住と娯楽のすべての面から、暑い夏を快適に過ごす工夫と知恵に頭が下がります。



そして、その作り自体がとても美しいことに感心します。




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しかし、今は進化しています。



美しさや我慢ではなく、科学の進歩は直に体温を下げられる直接的な方法のグッズが、どんどん生まれてきています。



ホームセンターでそんな商品を選んでいると、本当にたくさんあって、どれもこれも欲しくなります。



きっと、当たり、ハズレも、もちろんあるのでしょうけれど・・・



普段から体力のない私は、この蒸し暑さで更に体力の消耗を速めていると思います。ウンウン



ボランティア先で、無事に作業が出来るように冷え冷えグッズを購入してみました。



本当は、虫よけスプレーを買いに行ったんですけれど、冷え冷えグッズは興味をそそるものが多かったんです。



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↑去年の夏に、この「休足時間」という冷え冷えシートが活躍してくれました。


仕事から帰った後の、むくんだ足の疲れを取ってくれる優れモノです。



これに似た商品で、足つぼを刺激してくれる突起物の着いたシートもあります。



因みに、それも持っていますが、結構な刺激でそれをしたままだと痛くて歩けませんから、要注意。





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↑そうそう、これ最高に大事です。


ボラバスで移動中、仮眠をとる時に使っています。 大変お世話になりました。


普段からパソコンを使って仕事をしているので、目が非常に疲れます。


そんな私の癒しグッズでしたが、今回のボラバスの中で大活躍でした。


今回も忘れずに持って行かないと・・・



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↑カモミールの香りが、心身ともに癒してくれます。



被災地で臭いがきつかったのですが、体中臭いが染み込んで、更に汗臭さも加わり、帰りのバスの中でこれを何度も嗅いでいました。



バスの中は臭くないんですよ! たぶん自分が臭いのかも・・・ヒー




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↑全く関係ありませんが、ジンくんが大量のビニール(クリーニングで出たビニール)の中で、遊んでいました。



うううう、可愛い・・・



部屋中が、ぐちゃぐちゃにされていますが、この可愛さに許しますです。




それにしても、冷え冷えグッズは確かに優れモノですが、日本ならではのライフスタイルは、無駄が無い。



湿気の多い日本の暑い夏を、気持ちも身体も涼しくしてくれる、日本らしい風物や慣習が数多くあることに、改めて日本人の底力を感じました。 






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今回は、東松島へ!

先週の土曜日(6月11日)、東日本大震災のあの日からちょうど3か月ですね。

宮城県東松島市へ、ボランティア活動に行ってきました。

今回の『ボラバス』は、水戸市から3台のバスで向かいました。

総勢120名ほどになるでしょうか。

↓そして、恒例の?、出発前の記念撮影。パシャ!

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(すっかり抵抗なくネット上に姿を現すtobutoriです^^;)


今回の私の出発は、急に決まりました。

私が参加したボラバスは、土曜日の出発だったのですが、前日の金曜日にキャンセルが出たということで急きょ参加できるかの問い合わせがありました。

今週は仕事に疲れていましたが、やはりここは参加するしかないでしょう…

3回目の参加ともあって、荷造りは完ぺきに出来上がっています。

このまま仕事が終われば、夜にはボラ顔に変身です。

前回は、初めての『ヘルペス』の診察で通院していたために、睡眠時間がかなり削られてしまったので、今回は十分な睡眠を取るように努めました。

と言っても、急な出発だったので、家のことは旦那さんに、全ておんぶに抱っこです。 アハ

しかし、なぜか今回は30分も出発時間が繰り上がっている。エー

水戸駅4時出発で、そうなると2時45分に起床です。 ハ、ハヤッ!

今回も、頑張れ、私。


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(↑午前3時45分、既に水戸駅にボラバスの姿がありました。)

水戸市は、結構な量の雨が降っていました。

でも、ヘッチャラです。

雨混じりの天候の方が、ボラの活動は断然しやすくなります。

大雨以外なら、大歓迎です。

水戸駅近くのコンビニで、朝食用のおにぎりと、野菜ジュースを買います(現地で食べるお弁当は、野菜不足になるから^^;)。

コンビニへは、ボラ活動の格好で入るのですが、初めは抵抗があったものの、今では全然慣れたものです。

前回は、おにぎりの他にサンドウィッチとかも買って、むむむ、買い過ぎてしまい^^;、バスの中で死ぬ思いで食べていました。

買い過ぎはよくありませんね。

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(↑今回も、ラムナン㈱様からいただきました。)

ホームページの資料室から、

「ラムナンには、インフルエンザウイルスのようなエンベロープを持つウイルスに対して、強力が抗ウイルス作用を示すことが確認されています。」

だ、そうです。

ボラ活動に走る「石塚観光のボラバス」の、ボランティアのために、寄付で送ってくれているそうで、震災ボラ活動の後方支援をしてくれています。

被災地で活動するボランティアを、粉塵などから身を守ってくれるとされる「アオサのど飴」を提供してくれている会社です。

継続される支援の輪は、様々な形で繋がっています、本当に有難いことです。

そこのところ、私はとても大事で重要なことだと思っていたのですが、今回の添乗員さんははしょってました。うーん、残念。

なぜなら、このボランティア活動に初めて参加される方にとって、ボラバスで共にする添乗員さんの存在って大きいからです。

少なくとも私は、その方々から一歩前にという影響を受けています。

ボランティアをリピーターする切っ掛けを与えてくれたのも、添乗員さんのお話(気持ち)からでした。

被災地に到着するまでの時間は、ただ仮眠を取るだけに費やすのは勿体ないほど、有意義な時間を過ごせます。

それは、被災地の現状を総体的に見て動かれている添乗員さんのならではのお話が聞けるのです。

被災地のどんな情報を取ることができるか、そしてどれだけ多くの人とその情報を共有できるか、これも形の違った支援と言えると思います。

私から見た添乗員さんは、影の担い手でもあります。


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(↑しっかり、私の指が入っていますね。^^;)


私の場合、前回まで石巻市がボラの活動場所だったので、東松島へは初めて上陸です。

あれほど酷かった石巻市から場所を変えているのだから、東松島市も大変な状態であろうと勝手に思い込んでいましたが、街の様子は石巻市より比較にならないほど良いように見えました。

確かに、1階部分はどこも津波に浸水しているのが目で見てわかります。

ですが、地震や津波の被害で破壊されたものが一つもない感じでした。

もしかしたら、私の住む水戸市(茨城県)の方が、地震の影響だけで見たら酷いかもです。いえ、酷いです。

石巻市は、いいのか?

石巻市の街が心配でした。

ですが、ここまで来たらやるしかないです。

午前中は曇っていたのですが、それでも大汗かいて側溝の泥のかき出しをしました。

午後は、なんで~と思うほど、晴天になり気温も相当上がりました。

「想定外」です。

それでも、みんなの手は止まりません。

着ているカッパの中は、蒸し風呂状態です。

どんなに暑くても、ヘドロとの闘いなのでカッパを脱ぐわけにはいきません。

暑い環境の中、動いてもいますから、断然サウナよりも汗かいてます。 

立っているだけでも、体力を奪われます。

どうして、真夏のようなお日様が出てきたのぉ~。


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土嚢袋は、側溝脇にどんどん増えていきます。

本当に、一人の力ってもの凄くて、数時間でここの場所(矢本町)が、生活可能な場所に生まれ変わっていくのです。

前回までの石巻市で経験した活動は、マンパワーの不足に涙が出る想いでした。

ですが、そこに住む人たちに元気をもらい、また足を運ぶ理由をもらえていました。

ここは、少し勝手が違いますが、ここに住む人にとって、一歩前に進む足掛かりが出来たことは確かです。


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昼食は、「絆・弁当」です。

もちろん被災地調達ですから、これも被災地の支援に一役買っています。

大きなハンバーグと、ウインナーと。

肉は大好きですが、肉づくし…

今日は、お野菜の有難みを痛感しました。

しかもこの大きなハンバーグ、食べても食べても減りません。私にとって、魔法のハンバーグです。



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↑食事の時に、この汚れはとても危険ですね。

頑張ったのでしょうが、帰宅後に体を壊しては元も子もないですから、自己の衛生管理は出来るだけ気をつけなければと思います。

しかし、よく働きました。

無我夢中で体を動かすことは、若い頃なら多いでしょが、この歳になると滅多にありません。

浄化されるという意味では、実のあるストレス解消になっています。

さぁ~、午後から仕上げが待っていますよぉ。


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(↑側溝蓋まであったヘドロが、すっかり無くなりました。ヤッホー!)

周辺の側溝はまだまだヘドロが詰まっているので、水の流れは確認できませんでしたが、明日に繋がっていきます。

来るたびに着実に前へ進んでいる、少しずつなんて思わない。

歩みが遅いなんて、思えない。

平日は仕事や、家事に追われている人たちが、休日返上でボランティアの活動をしているというのに、、国会ではいったい今何をしているのでしょうか?

誰が嫌いとか、言っている場合でしょうか?

政府は学校じゃないんだから、文句ばかり言ってないで仕事をしてくださいよ。

そういうの、給料泥棒って言うんですよ。ハァ~

着実に進んでないのが、日本の真ん中にある。

国会で議員さんたちが好き嫌いを言ってる間は、大した仕事になっていないわけですから、休日に石巻市へ来てボランティア活動をしてくださいよー。

側溝のヘドロのかき出しをして、今何をしなければならないか、無心で働いてもらいたいですね。

好き嫌いは、あなたたちには重要なことであっても、私たちにはどうでもよいことなんです。

それを知っているのに、そこから這い出せない人の集まりは、一掃するしかないんじゃないですかね。

震災で職を失っている人は多く居るのだから、あなたたちの変わりはあると言うことです。


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ここ数ヶ月、政治家の話が一番頭に来る。

どの人も、理解しかねることばかり言っている。

大変さは分かるのですが、物事をより複雑にしているのが、それぞれの考える「利権」なのでしょうね。

人間の怠慢が原因で起こる災害を「人災」と言いますが、地震や津波で助かった命が絶たれるとしたら、それは国会議員一人一人が起こした人災に他ならないと思います。

連帯責任でしょ、それぐらの覚悟で、好き嫌いを言っているのでしょうから。


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9時頃、水戸駅に到着をして、迎えに来てくれた旦那さんと、なぜか私の親と合流して、この姿のまま食事に出掛けました。

私は恥ずかしいからイヤだと言ったのですが、みんなは大丈夫と言います。

そりゃそうでしょ、あなたたちは普通の服装ですもの、私の見てくださいな~

髪は適当に束ねられ、化粧は落ちてるし、それに汗臭いしぃ・・・ ま、いっか!

い、いいのか!!!


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↑本日のボラ活動で収穫♪

素敵な出会いは、その人の人生そのものを輝かせる肥やしになります。

人の一生はとても短いです、足踏みなんてしてられないですね! 一歩前へ…



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石巻市へ、再び

週末の土曜日(5月28日)に、石巻市へボランティアに出掛けてきました。

今回も、石塚観光のボランティアバスを利用して行ってきたのですが、活動内容は前回よりもハードでした。 こ、腰が…

ゴールデンウィークに、初めて被災地入りをしてボランティア活動をしてきたわけですが、1度あの光景を目にしたら、復興のその時まで見届けたくなると思います。


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(↑海岸沿いの松林が津波で流され、住宅地に押し寄せた証がここにも残っていました。)


石塚観光のこの取り組みは、茨城県からも県営として認められたそうです。

私は、今回も2号車(しかも、前回と同じ席)に乗車をしたのですが、ななななんと、添乗員さんは石塚観光の社長(綿引薫氏)さんでした。

社長さんは、この企画の言いだしっぺの法則に基づいて、震災後に宮城県へ7回ほど来ているそうです。 ほとんど休んでないのではないでしょうか?

社長さんの話では、先日、県知事から呼び出しをされて「県営としてやっていくが、資金は出さない」と言われたそうです。

社長さんは、県知事の言葉の前者を聞いて喜んだようですが、私が聞いているとゴールデンウィークに全局のテレビで取上げられたものだから、県知事が非常に重たーい腰を上げたように聞こえました。

ですが、社長さんの喜びは、茨城県福祉協議会の協力が打ち切られることが無くなったという安堵感からでした。

私の希望では、県知事が石塚観光の取り組みに対して労をねぎらうことと、他の県知事にも呼び掛けをする~ぐらいの後押しが欲しかった。

気付かないのでしょうね、あのタヌキは…

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現に、石塚観光のボランティアバスに参加されている人はリピーターが多いようです。

リピーターを優先したい気持ちも分かります。

前回もそうでしたが、出発時には脱落者が数名出ます。

キャンセルの電話が当日にも無い様子なので、寝坊が大半の理由でしょうね。

私も毎回、寝坊が恐いですもん。

1人が欠けても、私から見たら大きな損失です。

数時間のボランティア活動でも、目に見えて着実に進んでいます。

その1人の作業量はとても貴重なんです。


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いつも本当の今の姿をお知らせしたくて、写真を持ち帰りたいと考えていますが、なかなか厳しい状況の写真は撮れません。

手が離せないと言うのが現状ですが、活動場所は本当に悲惨なのです。

今回の石巻市は、住民が誰も住んでいません。

というか、住めません。

家の中で、海水や泥に浸った家財を外へ運び出し、重機で破壊し、運び出します。

家財はほとんどが津波で流されていたり、壊れています。

その家財が運び終えたら、部屋の中50cmくらいの高さまである泥のかき出しです。

泥は湿っているので非常に重たいのですが、前回と違っているのは、酷い悪臭と、数え切れないほどの小さな虫が飛んでいます。

今日の天気は小雨模様です、粉塵が舞わないだけでも有り難いことです。

酷い悪臭でしたが、晴れた日は街中がその臭いで覆われているそうです。


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自衛隊が作業を終えた後(遺体などの収容が終わっている所)、初めてボランティアが入る場所は過酷な場所です。

今回がそういう場所でしたが、いくら着実に泥のかき出し等を終えて、進んでいると言っても、ホントに先は長過ぎる。

石川県も、県でボランティア活動にバスが毎週走っているそうですが、人が足りなさ過ぎる。

これから夏になれば、体力的にも辛くなるだろうし、環境は悪くなると考えられる。

前回より過酷な作業をこなしていても、その達成感はない。

それぐらい、酷い現状でした。

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私は思いました。

被災している人も、私たちと一緒に出来ないものかと。

自分たちの住む場所を、他人任せではなくて自分たちの手で復興させてみないかと。

危険な場所だってあるけれど、子どもたちだってお手伝いが出来ると思います。

そんな声は、聞こえてこないのかな…

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↑この飴は、土砂の粉塵に紛れて作業をしていた石塚観光のボランティア活動をテレビで知った業者が、石塚観光に寄付してくれているものです。

この飴が無くなる頃になると、その会社から電話が入ってきて、段ボール箱いっぱいに送られてくるそうです。

三重県にあるラムナン㈱という会社です。

風邪のウイルスや、泥の粉じんなどに効果があるそうです。

懐かしいような、とても優しい味がしました。


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そうそう、土曜日にボランティアに行って、翌日曜日には以前勤めていた先のお友達とランチの約束をしていました。

私って、かなりパワフルやんっ

場所は遠いのですが、以前から気になっていたお店で、しかもお味噌屋さんです。

お味噌汁大好きな私は、5年くらい前から是非行ってみたいと思っていた所でした。

その当時は、お味噌屋さんしかなかったのですが、同敷地に、お味噌を使った料理を出してくれるレストランが出来ていました。

とても人気のようで、メニューはそんなに多くないのですが、いつも混んでいるそうです。

デザートの味噌プリンが人気だそうで、私もお土産に買って帰りました。

新発売の醤油プリンも気になったので、1つだけ買ってみたのですが、味噌プリンより美味しかった。


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あ、それと、私は金曜日に皮膚科に行っていました。

木曜日から上唇に水疱が出来てしまって、治るどころかどんどん大きくなっていったので焦りました。

「ヘルペス」だそうです。

初めてのヘルペスだと言うことで、先生が丁寧に説明をしてくれました。

過労と、ストレス…

うーん、思い当たることがいっぱい。

仕事を終えてから皮膚科に向かったのですが、6時半に着いて順番が回ってきたのは8時半でした。

評判の皮膚科で平日でも混んでいました。

その日の予定では、3時起床ですから9時に寝ることになっていました。

ご飯食べて、お風呂入って、用意していたら、12時!!!!!!!!!!!!

ヘルペスよ、キミの為にぃ~


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↑実は、このサンドウィッチの生地にも、味噌が練り込んであります。

アボガドと、エビと、玉ねぎサラダが入った美味しいサンドウィッチでした。

食べるのが遅い私なのですが、この日はヘルペスが非常に酷い状態だったので、痛くてあまり口が開けられませんでした。

どんどん食べるのが遅れて、人の話を聞くより食べるに必死でした。

このメンバーと会うのは、地震以来でしたので、地震当時の話とか、近況報告などをしました。

職場を離れても、こうやって誘っていただいて(私だけ違う職場なのに…)、本当に嬉しいし、楽しい時間を過ごせました。 チャン・チャン♪





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ボランティア活動で聞いた、津波の話

GWに、宮崎県石巻市へボランティア活動に行った時に、被災者から聞いた話です。

前回のブログより。

排水溝(側溝)の泥のかき出し作業をしていた私たちは、トイレ休憩をした場所で押切もえちゃんに会うことができました。

そこで英気を養って、すぐにボランティアのための活動場所へ戻ると、私たちが泥のかき出しをしていた側溝脇に住まわれる家の方が出てきてお話をしていました。

話し相手は、側溝の泥をかき出しているボランティアの人たちです。

数名が手を止めて、話を聞いていました。

たぶん、はじめは側溝の泥かき出しのお礼に出てこられたのだと思います。

それが、地震の時の話になっていったようです。

私たちの班まであとわずかな距離でしたが、立ち止まってその話に耳を傾けました。

その年配の女性は、地震当時の話をしていて、津波の話が口から出ると、止まりませんでした。

ボランティアの仕事には、被災地にいる被災者の話を聞くことも大切な役割の一つとなっています。

そのことは分かってはいましたが、津波の話をしている女性にとって、話をすことは気持ちをなだめることになっているのだという、気が伝わってくるのが分かりました。

なので、これは仕事とかいうのではなく、その人を救いたいという人の本能みたいなもので聞いていました。


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(↑3月11日の地震後、渦を巻く茨城県大洗港付近の海_茨城県広報紙より)


女性の話では、地震の後、津波による避難警報が町中で流れていたそうです。

ですが、周りで避難するような人はそれほどいなくて、その女性と家族も、実際に避難しなかったそうです。

その日も、海岸近くにある病院へ行くことになっていたそうなのですが(誰かのお見舞いとか言われていたかもしれません)、その日に限ってなぜか体調がよろしくなく、変な感じがして病院へ行かなかったそうです。

もし、この日、病院へ行っていたら私は津波にのまれていた。

神様が助けてくれたのだと思う、そう何度も話していました。

地震の後も家の中にいて、暫くすると、「さわさわさわ・・・・・・・、さわさわさわ・・・・・・。」と、小さな音が聞こえてきたそうです。

何だろうと思い、玄関まで出てみると、数軒先の家(その女性の家から見ると海側の家にあたる)の前まで、海水が流れてきているのが見えたそうです。

海水がここまで来ている(津波だ)!

そう思い、家族へ知らせようと玄関から家の中に目を向けると、既に畳の上まで海水が来ていたそうです。

横からも、海水が入ってきていたのです。

その女性と家族は、2階へ避難をして一命を取り留めました。

実際に、1階の部分(私の身長ほどは海水に浸かってしまっている)の外壁には、その生々しい海水が通ったであろう跡が残っていました。

「怖かったですね、でも、本当に無事でよかった。」

そう言うと、女性は、

「そうなの、本当によかった。」

そう、言いました。

何度も、無事でよかったと、繰り返していました。

その女性には、仕事をされているお孫さんがいて、その日も海岸近くにある職場で働いていました。

お孫さんの家族も皆、その子は津波にのまれて死んだものと思っていたそうです。

2日後(5日後?のどちらか)、そのお孫さんは自分の家まで歩いて帰ってきたそうです。

家族全員が、その子は死んだものと思っていたので、はじめは誰だか分からなかったそうです。

まさか…

その、まさかだったんです!

お孫さんは、クレーン車(自分が運転していた?)の、てっぺんにつかまって、津波に流されず、無事だったということでした。

そんな恐ろしい体験を、この人たちはしてきて、そして今はこうして元気な笑顔を私たちに見せてくれている。

本当に、無事でよかった…


ある家では、浸水して使えなくなった家具や生活用品を庭一面に放置されていたのですが、その中に、猫のゲージ、猫ベッドなど、猫を飼っている!というものが紛れていました。

その家の塀は流されてしまったのか、無いので、庭の様子が見えるわけです。

私は、すぐ脇の側溝を掃除していたので、気になっていました。

すると、家の中から私と同年代ほどの女性が1人出てきて、片付けをしていて腰を痛めてしまったので、できればゴミを集積場まで運んで欲しい、そう言ってきました。

私たちは、「はい、任せてください!」の勢いで、側溝の泥のかき出しの手を止めて、2班くらいでゴミの運び出しをしました。

ゴミ集積場と言っても、至る所に仮のゴミ集積場があるので、女性の家から10歩くらいの所なんです。

運び出して欲しいというゴミの中には、その庭にある猫のベッドやゲージなどは含まれておらず、とにかく依頼された物を運びました。

そうでした、ゴミではないのです。

それは、水に浸かって汚れてはいるけれど、地震前まで使っていたもので、ゴミとして出したものではないのです。

だから、ゴミとして扱ってはいけないと、大切な物として扱うようにと、添乗員さんからそう言われていました。

その女性は、運び出す私たちに「腰を痛めないでね!」とか、「ありがとう!」など、全員にひと言声を必ず掛けてくれました。

そうして運び終えると、女性は笑顔で何度もお礼を言ってくれました。

私たちも、嬉しかったです。

その女性宅の脇を通って、次の側溝へ移動をしている時に、その女性は家の中から猫ちゃんを抱いて私たちを見送ってくれました。

猫ちゃん、無事でした。 ヨカッタ~

みんな思わず、「可愛いー!!」と、汚れた手が出そうになりました。

女性は、とても嬉しそうでした。

猫ちゃんと見送りをしてくれた女性は、今居る家族全員で見送ってくれたと同じです。

それも、とても嬉しかった。


移動した先は、更に海岸近くになるため、側溝の深さが深くなっています。

その中の水分を含んだ泥をかき出す作業は、男の人でもだいぶ力がいるようで、可哀想なほど激務でした。

それでも、みんな頑張っていました。本当にエライ!!

私も、声掛けをしながら、かき出してくれた泥を土嚢袋に受けて、土嚢の口を閉じて一輪車へ積む作業に大汗でした。

もうすぐ、終了の時間です。

どうにかギリギリ、その一帯の側溝を綺麗にすることができました。

最後の作業をした側溝の場所で一輪車を押していたのは、近所に住む若い女性でした。

私はずっと、ボランティアの人だと思っていました。

自分たちがしたくても出来なかったこと、首を長くして待っていたのだと思います。

その若い女性の家からは、手が震えた老人が出てきました。

その老人は、片手にホースを持ち、汚れた私たちのスコップなどに水を流して綺麗にしてくれていました。

体が不自由なのに、それでもお礼に来てくれることさえ、私たちは嬉しかった。

その場を離れる時、東京から来て、地震後からずっとこの地域のボランティアをまとめているNPOの方が言われていました。

石巻市は、明日くらいから天候が崩れるようです。

そうすると、ここの人たちは喜ぶことでしょう。

今までは雨が降ると、側溝から汚水があふれていました。

明日からは、あふれないから大喜びだそうです。

そうか、そうなんだ。

私は、下水が使えないから困っていると思っていました。

失って気付くことって、本当に多いです。

普段の当たり前にしてきた生活が、どれだけ便利で有り難かったことか、被災地の人もそう言っていました。

私も数日のことでしたが、地震後のライフラインが寸断された不便さの経験から、水の有難み、電気の有難み、温かい食事の美味しさを、体と心で同じように味わっていました。

まだまだ先は長く、生活は楽ではないでしょうが、喜んもらえたことが、本当にヨカッタ!そのひと言です。

使用した道具の洗浄、長靴の洗浄、着替えを終えて、「災害ボランティアバス」は水戸へ向かいます。

昨日の災害ボランティアバスは、GWの渋滞もあり日帰りの計画だったはずが、帰りは翌日になっていたそうです。


帰りの東北道国見SA上り線で、ちょっと長めの休憩がありました。

だいたいそこで夕食を買うパターンだそうです。

お土産は買わないと思っていた私ですが、そこでは仙台の笹カマが売られていました。

売り子さんの話では、笹カマ工場は必死の思いで工場の復旧を果たしたものの、笹カマを売るお店が復旧されておらず、ここで売っているそうです。

これは、買うしかないじゃないですかーーーーーーーーーーーーー

遊びに行くわけじゃないから、お土産は当然買うわけないし、現金は3千円くらいでいいと思っていました。

でも、旦那さんが万が一ケガをした時に多少の現金は持っていた方がよいというので、1万円位を持って行きました。

ズバリ、正解でした。

そうよ、被災地にお金を落としていくのも、募金じゃないけれど、支援に繋がるわ~~!!

そう思ったら、急に使いが激しくなりました。

仙台名物の牛串は買うし、お土産もデザートまで買ってるし、珈琲だってそんな苦いの飲める口じゃないのに、贅沢珈琲を買ってしまうし、既に満腹状態です。

いいのか、これで? スッカラカンだぞ~

帰り、ほとんど寝ることも無く(周りは寝ている人が多かったけれど)、色々と考え事をしながらバスに揺られていました。

福島県いわき市だったと思います、窓の外を見ると、辺りが真っ暗だったのがとても切なく悲しかった。

寒い夜の日も、冷たい雨の日も、お腹を空かせて寂しい思いをしている動物たちがいること、また涙がこぼれそうになりました。

帰宅。

鏡の前で、髪の毛をかき上げると、地肌に比べかなり日焼けした私の顔、この歳で日焼けはマズイっしょ!

そして、翌日からその次の日まで、背中と手の平の筋肉痛に私は泣くのでした。

おしまい。


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いってきました(宮城県石巻市でのボランティア活動)

つづき、

私たちの災害ボランティアバスは、一昨日まで東松島市に向かい、そこでボランティア活動をしていたそうです。

ここ石巻市と違って、乾いた土の中での作業のため粉塵がもの凄く、ゴーグルが活躍したようです。

石巻市はまだ土が乾いていません。

粉塵は上がりませんが、泥のかき出しに力が要ります。

ボランティアから帰った翌日、背中と手の平が、筋肉痛で笑えました。

ただ石巻市は、ボランティアが体調を崩した時など、看護を受けられる場所がありません。

主な仕事が泥のかき出しではあっても、その終了後に、使用した道具などを洗う水の確保も取れていないとのことでした。

「これは、過酷な現場になるな。」と、添乗員さんが言っていました。


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こちらの地域で長くボランティア活動に関わっているNPO団体の人から指示を受けて、排水溝の泥のかき出しをしました。

この災害ボランティアの呼び掛けには多くの応募者が集まったのですが、災害ボランティアバスを走らせるのには2台が限界だそうです。

バス2台ということは、約80名のボランティアがそこにいると言うことです。

ボランティアをする側の安全は絶対に守られなければなりませんから、企画をされた石塚観光の方も終始気が抜けなかったと思います。

本当に、お疲れ様でした。


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さぁ、本番です。

予め決められた10人一組の班ごとに分かれ、排水溝の泥かき出し作業を始めます。

ここで、膝下まである長靴にチェンジです。

軍手は、布製・革製・ビニール製と、3種類を持ってきたのですが、重ねて使っていたら汗で脱ぎ着に時間が掛かり、この作業には不向きとなりビニール製だけで作業を続行。

粉塵は少なかったのですが、粉塵が無いことは無いので、ゴーグルは皆さん装着されていました。

が、私の場合、髪を後ろで縛っていたために、ゴーグル干渉してしまい一苦労でした。

ゴーグルの位置がずれてきても、軍手は泥で汚れているのでそう簡単には直せません。

それ以上に、ゴーグルが自分の息で曇ってしまい、前が見えない…

泥のかき出しより遥かに、つ、つらい。

マスクも、なぜか土嚢作りをしていると、どんどん目の高さまで上がってきて目を塞ぐ始末。

なので、どうしても軍手を脱いで、マスクを下げて、ゴーグルに新鮮空気を入れて、軍手を再びして、を繰り返す。

仕舞いには、ゴーグルを外して作業をしていました。

そんな人を多く見掛けました。

作業は、班ごとに移動はしますが、男性と2人組くらいになって、男の人がスコップで排水溝から泥をかき出します。

女性が、その泥を土嚢袋に受けて土嚢の口を塞ぐ、その繰り返しです。

泥は水分を多く含んでいて、ドブ臭さの中に、海の臭いもしていました。

私は、その泥を「ミネラル」と呼んでいました。

そのミネラルは、微小な泥なので、カッパに着くと水で流しても落ちません。

ある意味凄いと思いました。

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1時間の作業に、10分の休憩時間、水分を多く取り過ぎても、ボランティアが利用できるトイレは決められた所だけとなっているので、水分補給も一苦労です。

この後、トイレは私たちに元気をくれることになります。

それと、ボランティアに参加している男性は、なんて優しいのだろう…と思いました。

黙々と働き、自ら進んで地味な役を買って出る。

それに、女性より丁寧で極め細やかな気配りをしてくれる。

世の中、女性に優しい男性は多いけれど、大人しそうな男性が見せる紳士的な優しさはちょっと感動ものです。

私はどちらかというと、気持ちが男らしいので、普段大人しい男性が頑張る姿を見るとタマリマセン。

そんなことは、どうでもよくて、私たちボランティアの仕事はスピードよりも丁寧さを優先します。

今日終わらせるなんて思わずに、今日できなかったことは明日のボランティアの仕事に繋がっていきます。

そこを使う人が、気持ちよく使えるように、最後の後始末まで丁寧にして現場を去ります。

ただ泥をかき出しただけでは、その後を使う人の気持ちに寄り添えていないことになります。

清掃も大事な仕事であることは、普段気にしていなかったことだけに、改めて見直すことができました。

さぁー、そろそろトイレに行きましょう。

女性3人で、ボランティアが使用を許されているトイレに向かいました。

そこは、「ヨークベニマル」というスーパーなのですが、な・な・な・な・なんと!

その駐車場の、隣のスペースで「押切もえさん」たちが、炊き出しをしていました。

人だかりになっていたのですが、ヨークベニマルの人も知らない様子です。

思わず3人で、携帯電話を片手に激写です。

げ、芸能人ですよ! それも、押切もえちゃんと言ったら、有名人ですよね~

とっても、可愛かったです。

私たちもそこに並んで、握手をしてもらいたかったけれど、どこから見てもボランティアの人とバレるので遠目に束の間の喜びを。

でも、急に元気が出てきて、やはり凄いですね!芸能人て~


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(↑必死に3枚くらい撮ったのですが、慌てていたので2枚は画面に私の指が入っていました。ヒィー)

私と班が同じで一緒に行動をしていた他の2人は、大学生と、大学院生でした。

もえさん世代なのでしょうね、かなりクギヅケでしたよ。

雑誌の話をしてくるのですが、雑誌を見ない私にはチンプンカンプンでした。

何か言われても、笑うしか出来なかったです。カナシー

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↑私たちを、終着地まで無事に届けてくれたバスです。

運転手さん、長い道のりを安全運転で送っていただき有難うございました。

水戸駅に着いたのは、午後11時前でした。

真っ暗な水戸駅南口から、スコップを片手にしたボランティ(戦士)たちが、それぞれに散って行きました。

明日も、仕事や学校だと言う人がいました。

都内まで帰る人が多かったのですが、水戸駅発の終電は10時40分で行ってしまった後でした。

ホテルに泊まる人、ネットカフェに向かう人、マクドナルドで夜を明かす人、始発は午前4時過ぎだそうです。

疲れているはずなのに、それでもみんな、とてもいい顔をしていました。

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お疲れ様…




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